ーーその流れに乗れば、将来も安泰なのに、なぜ政治を目指そうと。
山田 私の中では、進む方向は同じです。「2000年先の日本を考える」には、そもそも子どもを増やさなければいけません。保険営業マンとしてもファイナンシャルプランナーとしても、、もう一人子どもを授かるために資産形成のアドバイスをしてきました。日本の子どもを増やしたいという思いで仕事をしてきたのです。皆さんは、「子どもはたくさんほしいけど」と言います。お金が必要だし、まだ若いからとか言って、子どもを授かろうとしません。私は23歳で子どもがいましたし、今は5人の子どもがいます。実体験に基づいたことと、ファイナンシャルプランナーしての知識や経験を踏まえて伝えることで、「もう一人どうですか」という仕事をずっとしてきました。政治を目指すとことは、このことと全然変わりません。
ーー政治の世界は、2035年からと考えていたそうですね。その時は54歳。なぜ2035年からと決めていたのですか。
山田 成し遂げたいこと、実現したいことに保育園や学校をつくることがあります。その後、行政からバックアップしていくために政治の世界に足を踏み入れようと思っていました。ある程度先を見据えてということで、自分なりに54歳と考えていました。それが、この度10年ほど早くなりました。
ーー現在は、自民党札幌清田区連合支部清田中央支部長も務めていますね。
山田 政治のことを知っておく必要があったので、7年前に参議の岩本剛人さんの後援会に入ることから始めました。岩本さんは、当時、道議でしたが、選挙にかかわったりイベントを手伝ったりしてきた中で、支部長というポジションになりました。仕事をしながら手伝っていたので、秘書のように専業ではありません。自民党札幌清田区連合支部清田中央支部は、会員の高齢化が進んでいて、若い人を上に立てる流れをつくった方が良いということがありました。私の前任支部長が、2年後に山田を支部長にしようという考えで動いていました。結果として、私にこのタイミングで声が掛かりました。
ーーどういう政治活動をしたいのですか。
山田 抽象的な話ですが、子どもを産み育てやすい環境をつくることです。夢や目標を持つ子どもたちが、減っています。何かをしたいと子どもが親に言うと、「そんなことで、これから生きていけるわけがないでしょう」と悪気のない心配をする親の発言もあるでしょう。学校では一様な行動を求められる環境もあります。教育環境や教育の考え方ほど大事なものはないと思っているので、2000年先といったときに教育がまず第一です。ただ、目先も何とかしないといけない。短期、中期、長期と分けた時、短期的には子どもを産み育てやすいと思える政策を実行しなければいけない。例えば、子どもがいる世帯は住民税を減税したり免除するとか、児童手当、保育手当、学費手当など、多くに所得制限がありますが、それを全部撤廃したい。国の政策と整合性を持たせて、推進したいと思います。
自衛隊出身で災害救助も経験していますから、災害に強い区をつくっていきたい。また、清田区は地下鉄がない唯一の区です。このことによって何が問題かというと、若者が離れてしまうことです。卒業したら、地下鉄のある便利の良いところに出て行ってしまう。地域交流拠点は、札幌に17ヵ所ありますが、その拠点に地下鉄がないのは、清田区だけ。地下鉄がないことによって若者が離れていき、高齢化に拍車が掛かっていることを訴えていきます。
ーー座右の銘はありますか。
山田 『恩送り』という言葉が好きです。年上の方から掛けていただいた恩は、返せるものではありません。次の世代に繋いで恩返しする、つまり『恩送り』をするということです。
ーー山田さんを突き動かすものは何ですか。
山田 そういう役割で生かされていると自分で思い込んでいるだけです。それだけなんです。20歳の時の交通事故もそうですが、10歳の時にも九死に一生を得ています。部屋で箪笥の扉にぶら下がったりして遊んでいたら、箪笥が倒れてきて下敷きになりかけました。その日に限って近くにテーブルがあって、箪笥がテーブルで止まり下敷きを免れました。20歳の時の事故も、これとないタイミングによるものでした。そんな経験から、生かされていることを強く感じます。20歳の時に入院していた時は、本当に死のうと思いました。「もう歩けないかもしれない」と医師から言われていましたから、絶望しかありませんでした。いろいろと考える機会が多かったことでは、人よりも恵まれていたかもしれません。
ーー自分に足りないものは何だと思いますか。
山田 どこまでも貪欲に成長したい、学びたい、上に行きたいという気持ちがあります。子どもの頃から、そういう性格でした。やるからには、とことん突き詰めます。小学校の通学路では、前の日とその日についた足の位置を考えながら歩きました。そのくらい突き詰める性格でした。目の前に置きたことを考え続ける性格で、寝るのが苦手でした。考えることが終わらないからです。
ーー人は成功すると慢心してしまいます。お金も幸福な生活もあって、家族にも恵まれています。自分はこれで良いと挑戦しなくなるのではありませんか。
山田 成功したと思ったことはありません。九死に一生を得た経験が、自分の中にブレない芯のようなものをつくってくれたと思います。感謝ということに目覚めてからは、自分の軸がさらに太くなった気がします。(インタビュー終わり)
※2023年3月31日記事一部修正しました。