「子ども活動家」として子どもたちの未来に繋がる教育や機会提供に取り組む活動をしている山田洋聡(ひろあき)さん(41)。高校卒業後に陸上自衛隊に入隊、交通事故で九死に一生を得るなど、稀有な体験から醸成されてきた感謝と生かされているという心の軸は、山田さんの可能性を大きく広げてきた。山田さんの人となりをインタビューした。(写真は、「子ども活動家」として講演する山田洋聡さん)
ーー山田さんは、真面目に「2000年先の日本のために」と言い続けていますね。
山田 そうです、「2000年先の日本のために」と言い続けています。私が生まれたのは、親2人がいたからですが、さらにその前にはそれぞれ親2人がいました。自分には5人の子どもがいますが、当たり前に暮らせていることに感謝以外のなにものでもないと感じています。
ベースになるのは、国です。国が平和で続くことが、次の世代を繋いでいくことになります。2000年先というのは、自分が絶対にいない、死んだ先の話ですが、自分の戒めにもなると思って「2000年先の日本のために」と言うようにしました。その中で、これから無限の可能性を秘めている次の世代に、私の時間とお金も注ごうと、『子ども活動家』と名乗って3年前から活動を始めました。昨年、本気度示すため、『子ども活動家』の商標も取りました。
ーー子ども活動家としてどんな活動をしていますか。
山田 山田塾を主催しています。高校生以上が対象ですが、現在は大学生が中心。「このままではいけない」とか、「変わりたい」と思っている学生たちが集まってきます。山田塾では「行動しよう」と強く言っています。考えて動くよりは、動きながら考えようと。AIが発達しても、私たち生きている人間が、つくっていく世界を考えると、人と人のコミュニケーションは欠かせません。コミュニケーションがなぜ重要かということについて、テクニック論まで話をして、実践的に練習する場を設けたりしています。
人生は、自分の思い描いた通りにしかなりません。まず、目標を立て、そこに向けて行動していこうと。リアルな想像を持ってもらうため、実際に夢を成し遂げた経営者などに登場してもらい、「チャンスは君たちにもある」と話してもらっています。
ーー高校卒業後に、陸上自衛隊に入隊しましたね。
山田 子どもの頃からトラックに乗りたかったので、高校卒業後に陸上自衛隊に入りました。20歳の時、もらい事故に遭い、九死に一生を得ましたが、足に大怪我を負いました。退院後、事務職に変わりましたが、31歳で体力の限界を感じ自衛隊を辞めました。そこから在宅ワーカーになって、デイトレーダーなど家でできる仕事をしていました。性格が真面目過ぎるのか、デイトレーダーをごりごりとやり続けるのが性に合わなかったようです。体重が減り続けて、60kgを切りました、182cmあるのにです。そういう仕事は、ストレスがかかる人間なんだと思い、また、トラックに乗ることにして北海道サンユーに入社させていただき、大型トラック運転手として勤務していました。ある時、同僚の「一生できる仕事じゃないよね」のひと言から転職を考えて、アクサ生命に入社しました。そこでは、デイトレーダーとして、ごりごりとやってきた経験が役に立ちました。また、自衛隊在籍中には隊員たちの社会保険手続きを手掛けていたので、その実務経験も役に立ちました。
ーーなぜ生命保険会社に就職したのですか。
山田 頑張っただけの成果がもらえるフルコミッションの世界に憧れていました。それで、完全歩合制の仕事に就きたいと思って、生命保険業界に入りました。入社式でMDRTを目指すと宣言しましたが、なかなか達成できなかった。入社3年目に目標設定のプログラムがあって、学び始めた時に、宣言することも大事だが、数字を含めて目標設定することがさらに大事だということを知ってから、急に成績が伸びしました。35歳の時でした。
そこから人生が変わりました。営業成績がものすごく向上して、自分の基準から言えば、売り上げは5倍になりました。私自身が目標としている数字の2倍でした。社内で名前が知られるようになりました。