リージョンズ高岡幸生代表取締役に聞く①転職コンサルティング会社を起業した理由

経済総合

 転職コンサルティングのリージョンズ(本社・札幌市中央区)が注目されている。同社は、首都圏のUターン人材を札幌など道内企業に紹介する独自のビジネスモデルを武器に成長を続けている。首都圏で働く優秀な人材をUIターンで地域の企業に紹介、地場企業のレベルアップに繋げ地方創生の一翼を担うことに力点を置く。高岡幸生代表取締役(47)に事業を始めた経緯や今後の展望を聞いた。今回はその1回目。IMG_4445(写真は、インタビューに答える高岡代表取締役)

 リージョンズは、2008年創業で昨年の売上高は約1億6000万円。拠点は現在、札幌市と仙台市、宇都宮市。主として首都圏で働く30歳代の大学卒Uターン人材を3拠点の地場企業に紹介する転職コンサルティング事業を行っている。紹介事業のうち営業職と販売職のマネージャーなどが全体の5割を占め、経理、財務、経営企画、人事など管理部門が2割。医師や看護師など医療系の人材紹介はしていない。同社の事業モデルは候補者(転職希望者)と面談をして、「それだったらこの会社の社長と会ってみたらどうですか」という人と人を繋ぐニッチで狭い領域での紹介。数ある人材紹介会社の中でも競争力のある事業ノウハウが強みだ。
 
 ――まず創業の経緯から教えてください。北海道大学を卒業してリクルートに入社されましたね。
 
 高岡 新卒でリクルートに入社し、最初は大卒を採用する部署にいました。北大生の新卒採用を担当し1日に10~20人に面接して初年度から1000人を超える面接を行いました。それで面接力と言うか採用力を鍛えられ、その蓄積を経営者に伝授する採用コンサルティングの部署に移りました。そこで首都圏からUターンで地域に戻りたいという人材を地域の企業が採用する際のお手伝いをしました。
 仙台や岩手で勤務していましたが、そのころは首都圏でリクルートの転職情報誌『ビーイング』がものすごく分厚くなっていて転職市場が沸騰していた時期。一方、地方では人材が枯渇、東京からUターンで戻ってくる人材が欲しいというニーズが全国的に高まっていたのです。 
 そのころびっくりしたことがありました。地方の経営者は採用できるかどうか分からないのにリクルートの求人広告に100万円、200万円を出すのです。「東京からの優秀なUターン人材を採用できるのなら安いものだ」と。経営者は優秀な人材を獲得するために投資を惜しまないことに正直驚きました。
 知り合いの経営者からは「優秀な人がいたらどんどん連れて来てくれ。あなたの目利きで紹介して欲しい」と良く言われました。私はその時、経営者は確実性のあるものにお金を出すことに気づきました。それで自分自身で人材を見つけ出して紹介するビジネスだったら成功すると直感したのです。
 
 ――2008年に創業していますね。
 
 高岡 創業する前に様々なデータを調べて、こうすれば起業しても大丈夫という道筋を見つけていました。それはメーンコンセプトをUターンの人材紹介に置くということです。地域の経営者が欲しい人材は東京からのUターン組だからです。
 転職する人は大体大きな転職サイトを2つ活用して次に大手紹介会社を使い、もう一つローカル会社も使うというデータが出ていました。そのローカル企業の一角に食い込む四番手戦略で成り立つと判断して創業したのです。札幌ではUターン紹介を一生懸命やっている人材会社があまりなかったこともあって、Uターンのホワイトカラー領域で私たちは高いシェアを持つようになりました。
 
 ――いずれは起業をしようと考えていたのですか。
 
 高岡 将来は経営者になりたいという思いがありました。リクルートでは、17年間ずっと人材採用に関わる仕事を続けていましたが、いつかは中小企業の経営者になって世の中に影響力を与えられるような存在になりたいと。
 
 ――創業当初から順調に業績は伸びたのですか。
 
 高岡 創業直後の1年間は私1人で経営していました。夢もあまりなくてただ稼げればいいという感じ。年間で5人くらいの紹介しかできず年商500万円くらいでとても会社とは言えないような実態でした。それでも京セラ創業者の稲盛和夫さんに心酔して『盛和塾』に入って研修会に出席したりしていましたが、ほかの経営者は社員のことで悩んだりしているのに私はその話の輪にも入れない。
情けなくなって、ある日私の夢をまとめて、以前一緒に働いたリクルートのメンバーに会いに行ったのです。東京で私が紙に書き留めていた夢を話したら、1人がその年の暮れに入社してくれ、もう1人も翌年に入ってくれました。その2人は今、札幌と仙台の責任者になっています。その後、リクルートに求人広告を出して2人採用し、4人で事業拡大を進めることにしたのでそれから業績が伸び始めました。
 
 ――それ以降は順調だった訳ですね。
 
 高岡 それがそうではなかったのです。私は、中小企業家同友会にも入っているのですが、ある会合で隣に座っていたテキサス(帯広市)の落合洋社長から「理念をもたない会社は潰れる」と言われました。私も理念を作るには作っていたのですが、ただ作っただけで一つも身に付いてなかった。落合さんに言われて、本当に自分がやりたいことは何だろうと改めて考えました。それで「地域に優秀な人材を流動化させることが地域のためになる」という思いを今一度強くしました。それにはやはり年間100人ぐらいは紹介できる会社にならないと影響力もなく社会に貢献もできないと考え、当面はその規模の会社にしようと。当時は年間20人も紹介していなかったですから。
 しかし、少し業績が伸び始めたら、勢いづいて仙台や宇都宮に野放図に拠点を作ったり車を買ったりして放漫経営になってしまった。結局創業して5年目あたりでまたまた事業が停滞してしまうのです。(以下、次回に続く)

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