戦後、満州(中国東北部、沿海州)に残された170万人の日本の民間人を本土に引き揚げさせるため力を尽くした日本人3人を描いた『満州 奇跡の脱出』(柏艪舎刊)の著者、日系二世の米国人ポール丸山さん(71)が14日、札幌市の教育文化会館で講演した。ポールさんは引き揚げに尽力した3人のうちの1人、丸山邦雄氏の子息で自身も引き揚げを体験、「満州の悲劇を忘れてはならないし世界に訴えたかった。その中で3人が果たした役割やGHQ、カトリック教会、蒋介石率いる国府軍の役割についても記録として残しておきたかった」と執筆の動機を語った。(写真左は、講演するポール丸山さん。写真右は合田一道さんとの対談)
ポールさんは1年半前に柏艪舎からこの本を出版。現在は南コロラドに在住だが、今回来日の機会があったため札幌まで足を運び、市民ら約150人を前に講演した。「終戦でソ連軍が満州に攻め込み、日本軍の大半はシベリアに抑留され残ったのは大半が老人や女性、子供たちだった。銀行口座は凍結されカネも仕事もなく、飢えや寒さ、虐待などで毎日2500人が死んでいった」と当時の状況を説明。民間人の数は約170万人と言われているが正確な数字はどこにも残されてないという。
一刻も早く本土に引き揚げなければならなかったが、そこで立ち上がったのが現地の実業界で活躍していた丸山邦雄、新甫八朗、武蔵正道の3人だった。現地のカトリック教会や国府軍の協力で3人は先行して帰国。東京で政府要人やGHQを訪ね、満州の現状を知らせ引き揚げ協力を要請。「しかし、政府は無力で使える船はなく何もできない状況だった。3人はマッカーサー元帥にも会い窮状を訴え、ようやく米軍の協力をこきづけた」
満州から引き揚げが始まったのは1946年5月から。この年の12月までに105万人が本時に引き揚げたという。
ポールさんは講演に続いて満蒙開拓団の著者があるノンフィクション作家の合田一道さんと対談。蒋介石率いる国府軍と中国共産党軍の対立が激しくなっていく中でも協力が得られたのは、新甫氏や武蔵氏が営んでいた会社が中国人を大事に扱っていたことが理由だったことや、3人が先行して本土に戻る時は満人服に現地の状況を書き記した書類を縫い付けて戻ったエピソードを紹介。
ポールさんは、「戦後、日本政府は満州に無関心で責任も取っていない。過ちを犯したなら前向きに事実を伝え責任をとるようにしないと再び過ちを繰り返す」と訴え、「満州から引き揚げた人たちが日本人社会の中で排斥されたことも聞いたことがあるし、当時、満州乞食という言葉があったことにも大変驚いた。政府は引き揚げ者を認める責任があるのではないか」と語った。
会場からは、「満州の日本人を見捨てた政府の棄民政策は、東北で原発被害を受けた人たちの棄民政策にタブって見える」などの意見が出ていた。