今年7月15日に満80歳で死去した土屋ホールディングス(本社・札幌市北区)の土屋公三創業者会長を偲ぶ会が9月29日、札幌市中央区の札幌パークホテルで行われた。取引先関係者や友人など約290人が参加、故人との最後の別れを惜しんだ。(写真は、主催者挨拶をする土屋昌三土屋ホールディングス社長)
(写真は、弔辞を読む佐藤良雄キャリアバンク社長)
会場入り口には、土屋氏の著述した本や愛用のカバン、ゴルフセットなどが並べられた。会場中央の祭壇には遺影が掲げられ、菊の花の中に土屋HDの社章がカーネーションで形作られた。偲ぶ会では最初に出席者全員で黙祷を行った後、主催者の土屋昌三土屋HD社長が登壇。昭和16年に札幌で生まれ、昭和41年に会社を興し、昭和44年に土屋商事、昭和51年に土屋HDの前身である丸三土屋建設を創業したことなどに触れ、「故土屋公三は、その名前からと土地と家屋でお客さま、社会、会社という三つの公に尽くすことを使命として、先見の明をもって事業の拡充を図り、豊かさの人生を創造する土屋グループを育て上げた。たった1人で創業し、東証2部上場を達成したバイタリティーは、傘寿を超えてなお旺盛で日々研鑽を続けていたが、7月15日、80年の生涯に幕を下ろした。創業者の生きざまは、私どもの誇りであり目標。これまでの業績を辿ると、尊敬の念が一層強まる。創業者の志と使命感を受け継ぎ、全社員一丸となって突き進んでいく」と挨拶した。
弔辞を読んだのは、伊藤小一日本商工振興会会長、木村勇市キムラ名誉会長、佐藤良雄キャリアバンク社長。伊藤氏は、「出会ったのは私が35歳、あなたは32歳だった。札幌青年会議所の仲間だったが、2人とも貧乏な若い経営者で仲良くなるのは必然だった。ある時、建築会社に舵を切りたいと相談され、びっくりしたが面白いことになるかもしれないと思った。辛抱強く勉強して、努力を続けて投げ出さなかったあなたを尊敬している」と遺影に向かって話しかけた。
木村氏は、「住宅会社を設立すると打ち明けられた時は、正直びっくりした。しかし、先見の明と真面目な人柄を信じる人が多く、私の会社からも資材を運んだことを昨日のように覚えている。あなたは、これと決めたことをとことんやる人だった。2歳年長の私は、あなたに弔辞を読んでもらいたかった。我が戦友、我が師である土屋さん、本当にありがとう」と述べた。佐藤氏は、「土屋さんは自分史『苦難福門』で、《足元の苦境を嘆く必要はない、それらはすべて未来に必要なこと。人生や経営は、一人で歩んではいけない。良い師匠、良い友人、良い人脈をつくること。そして一生に一度の人生を自分のための気概ややりがいを持って、悔いのない人生を送ること》と書いてあった。私たちは、土屋さんのこの思いを遺言として受け取った。残念だがしばらくお別れです」と話した。
最後に出席者一人ひとりが献花を行い、手を合わせて最後の別れを行った。お別れ会は2部構成で行われ、11時から13時半までの献花式には600人が訪れた。
(出席者一人ひとりが献花をして最後のお別れを行った=写真)