バブル期を席巻した亡霊企業「カブトデコム」の神田隆夫社長が5月初め急逝、佐藤茂会長は米国から駆けつけ葬儀参列

経済総合

 カブトデコムの神田隆夫社長(67)が5月の大型連休中に急逝、新社長に平田英二取締役(49)が就任していたことが分かった。カブトデコムはバブル期に道内を席巻した建設会社で北海道拓殖銀行を破綻に追い込んだ元凶とされる。5月7日に札幌市内で行われた葬儀には、同社創業者で会長を務める佐藤茂氏(66)も米国から駆けつけ参列した。佐藤氏と二人三脚でバブル企業を作り上げ、現在は4700億円もの債務超過を抱えながら存続しているカブト――その裏面を知る一人が死去したことで“闇”は一層深まることになりそうだ。
 
 神田氏は、クワザワを経て1984年にカブトデコムに入社。86年には取締役総務部長に就任、その後93年に専務、副社長に昇格し94年から社長に就いていた。カブトの融資元が共同信用組合から拓銀に代わりバブルと歩調を合わすように急成長した同社を、佐藤氏とともに作り上げた右腕とされる。

 バブル崩壊に伴う拓銀破綻を誘引した同社は、その後も存続を続け、1千億円とも言われる資産を米国子会社に逃避。拓銀債権を引き継いだRCC(整理回収機構)は、債権回収に取り組んだが結局3500億円強の債務を52億円に圧縮、8年間の分割返済という“甘い取り立て”しか叶わなかった。
 
 カブトの2011年3月期決算は、売上高1100万円で経常損失は147億4800万円、当期純損失は183億5300万円となっている。債務超過額は4700億円にも達しており、そもそも存続していること自体が闇に包まれている。
 
 RCCには毎年6億5000万円の返済を続けていたが、カブトの売上げが1000万円台で推移してきたことから、米国子会社からの配当などによって原資を作らなければ返済は不可能。原資をどう生み出してきたのか、そのカラクリを知る神田氏の死去は、カブトの真相解明が遠のくことを意味する。
 
 佐藤会長は、同社株式の15%強を握る筆頭株主で現在は米国に在住している。逃避させたカブト資産を米国子会社を使って転売や売却を重ね、悠々自適の生活を送っているとされる。
 
 神田氏の葬儀には、佐藤氏も出席したがかつての知人に会うこともなく足早に札幌を後にした。
 
 RCCの分割返済は一昨年9月に終了、これでカブトの金融債務はなくなったと見られるが、これがRCCの債権放棄と位置づけられ多額の債務免除益が発生するのかどうか、12年3月期決算が注目される。
 
 なお、新社長に就いた平田氏は、90年にカブト入社、2000年に取締役管理部部長に就いていた。

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