ラルズ守屋澄夫前社長死去

流通

 アークス(本社・札幌市中央区)子会社のラルズ(同・同)前社長の守屋澄夫氏が14日にすい臓がんのため死去した。70歳だった。18日のやわらぎ斎場厚別での葬儀は、生前の本人の希望で家族葬の形式で行われたものの通夜を含めて1000人以上が参列した。IMG_9814(写真は、守屋氏の葬儀で顧問として挨拶するアークス横山清社長)

 守屋氏は、1947年8月、常呂郡訓子府町出身。北見柏葉高校、拓殖大卒で大丸スーパー(現ラルズ)の大卒2期生として入社。平岸店や狸小路店の店長、本部第一商品部部長などを歴任。89年に大丸スーパーと丸友産業(金市舘の営業部門)が合併、ラルズになって以降は取締役、常務を務め、98年に三島の店舗を承継した道北ラルズ社長就任。2007年にラルズ専務を兼務し、12年5月ラルズ社長COO就任、16年5月から顧問。

 社長在任中の15年8月にすい臓がんであることが分かり余命4ヵ月と言われていたが、陽子線治療や免疫療法などを続け2年4ヵ月闘病生活を続けた。

 葬儀の顧問を務めたアークス社長、ラルズ会長の横山清氏は、挨拶でこう話した。
「私が専務の時に守屋君を面接して採用した。同期の拓大出身の阿部勝美さんと一緒に入社した。守屋君の面接はたまたまお昼時だったので、昼飯を会社の向かいの寿司屋で食べることになった。850円の寿司を一緒に食べたが、亡くなるまで『横山さんに850円の寿司を食べさせてもらって、毎日でも食べられるのかと思った』と言っていた。本当に人の気持ちの機微を上手に捕まえる人でした」

「彼は、肉の現場から始まって、ひとつずつ技術と知恵を付けトップまで行った人だ。私は彼の結婚の仲人をしたが、挨拶の時に『澄屋守夫君』と言ってしまった。挨拶を終えるまで気付かなかったのは、私と守谷君だけで会場の人たちは皆気付いていたそうです。以来、何かあるとそれを話題にしてジョークをうまく言う人でした」

「守屋君が入社したころは資本金500万円で売り上げも年間10億円だったが、売上高100億円を超えた時に守屋君が『1000億円目指そう』と言った。100億円になるまで23年もかかったのに、1000億円にするには200年もかかると私は思い、『生意気なことを言う奴だな』と思ったが、何か難しいことがあると必ず守屋君が出てくる。不振な店も見事に立て直し、道北ラルズの社長を13年やってもらい軌道に乗せた。45年間はスーパーのために渾身の努力をし、2年半はすい臓がんとまともに向き合って本当に素晴らしい生き方をしたと思います」

 葬儀後に横山社長はあらためて守屋氏の人となりについて本サイトにこう語っている。
「努力家だった。流通業の草創期から隆盛期に入るころに、私どもとしては理想の社員だった。流通業という土曜も日曜もないような中で、心身ともに自分をコントロールして学習して自分を高めていく面では、優れた素質と努力があったのではないかと思う」

「守屋君は金市舘と合併してラルズマート狸小路店の初代店長になったが、売り上げがなかなか上がらなかった。彼から相談を受けて、思いきったことを積極的にやろうと言って実行していったらぐんぐんと伸びていった。一時は相当参っていたが、諦めずに我慢して頑張った成果が形となって表れた。普通ならそれを待てずに店長を辞めるが、彼はそうではなかった。三島を承継して道北ラルズを設立し社長を誰にするかという時、守屋君しかいなかった」

「現場をがっちりと守ってくれる同志だった。零細企業から上場会社になっていく中で組織が大きくなるとサラリーマン化していく人も多いが、のたうち回ってきた我々の時代を良く知っている人だからこそ、決してサラリーマンにはならなかった人だった」

関連記事

SUPPORTER

SUPPORTER