北海道の若手経営者を育成しようとニトリの前特別顧問だった長内順一氏(未来経営研究所代表取締役)が提唱して今年設立された「北海道経営未来塾」の第6回講演会が4日、札幌市中央区の札幌パークホテルで開催された。20人の塾生以外も参加できる公開講座の最終回にあたり、JXホールディングス名誉顧問の渡文明氏が『私の原点―挑戦―』をテーマに1時間半講演、約120人が聞き入った。(写真は、講演する渡文明・JXホールディングス名誉顧問)
渡氏は、1936年東京都赤坂生まれ、60年3月慶応大経済学部卒、日本石油入社。98年日本石油副社長に就任し三菱石油との合併を指揮、99年に国内首位の日石三菱を誕生させた。2000年に社長。10年には新日鉱ホールディングスとの大型経営統合を成功させ、売上高11兆円を超える国内最大の総合エネルギー、素材、資源企業グループ「JXホールディングス」を誕生させた。
渡氏は、60年に亘るサラリーマン生活について、「よくわからないままここまで来た感じもするが、自分なりに努力した点もあったと思う」と述べ、人生の転機となったことを3つ紹介。
日石に入って最初に配属されたのが新潟の製油所だった。同期たちと比べて明らかにスタート地点で不利な立場。「落胆して切ない思いで着任した。仕事は殆どなかったので製油所の構内でこぼれた石油をひしゃくで汲んで捨てることばかりしていた。仕事に矛盾を感じたが、ここで一生懸命に働いている人もいる。そう思って心を入れ替え、装置の定期修理の時に装置内部まで入ってどうやって石油を作るのかを一から勉強した。1年経ったら製油所の仕組みが理解できるようになった」と話し、「不遇な境遇でも自身の対応の仕方で大きく変わってくることを学んだ」と振り返った。
次に大阪支店勤務のころの出来事を紹介。ある案件で担当課長は反対したが渡氏は『やるべき』と主張。すると支店次長が『担当課長がダメと言っているのに君は逆らうのか』と。その後、その案件は渡氏の主張通り採用され、担当課長は『悪かったな』と話しかけてきた。しかし次長は一切触れない。「ある著名人の講演を次長と一緒に聞きに行った帰り際、ポツリと『君、頑張れよ』のひと言を受けた。私はその時、リーダーの言葉の重みを感じた」(渡氏)
3つ目の転機は、自らの挫折体験。39歳の時に劇症肝炎になって4ヵ月入院。治るか治らないかもわからない病気に焦りばかりが先行する。「でも10日目に達観した。『しょうがない』と。テレビもダメ、動いてもダメだったので本を読むことに決めあらゆる本を読んだ。老子もその時に学んだ」(渡氏)
復職後、自らを限界状態に追い込むことが必要だと気付いて『有言実行』を肝に銘じた。「言葉に出したら必ず実行するという限界状態に自分を追い込むことで成長していく道を選んだ」(渡氏)
渡氏は、挑戦する力の源泉として①誠心誠意でものごとに対応する②有言実行③三つの目を持つ(全体最適を探る鳥の目、現場力を磨く虫の目、流れを読む魚の目)――ことを掲げた。
講演に一貫していたのは、苦難や困難に直面した時、どういう気持ちで臨むかということ。「気持ちを前向きに持ち、ポジティブに考えて逃げないことが必ずプラスになる」(渡氏)と訴えていた。
(会場には約120人が集まった=写真)