3日午前、心不全で死去した中和石油(本社・札幌市中央区)杉澤達史社長(67)の通夜が8日、札幌市豊平区の北海斎場で行われた。高向巖札幌商工会議所会頭や横山清アークス社長、堰八義博北海道銀行会長など道内外の経済人、業界関係者など約800人が参列、故人と最後の別れを惜しんだ。(写真は、挨拶する葬儀委員長の横井氏=左端と杉澤氏の親族。謙次郎氏は右端)
杉澤社長は、1948年1月12日札幌市生まれ。札幌南高、北大法卒。山一証券に入社後、企業派遣でミシガン大学大学院に留学、ポリティカルサイエンスでMA(修士)を取得している。76年からロンドンに駐在して中東ビジネスに携わった。
中和石油社長に就いたのは、先代の敏正社長が死去したためで当時達史氏は31歳だった。社長就任2年後には灯油軽油備蓄基地を東札幌に建設、1990年半ばには苫小牧市に自社備蓄タンクを確保して輸入を含めた多様な仕入れルートを整備している。また、93年に総合エネルギー会社としてホームガス(プロパン)事業を開始、97年には自社POSシステム構築、元売りに依存しない独自の決済を実行してきた。
この間、98~99年に札幌石油業協同組合理事長、2003年に北海道石油業協同組合連合会副会長、02年から08年まで会長、同時に全国石油協会副会長も務めた。
長男は歯科医で中頓別町歯科診療所代表。社業を継いだのは次男の謙次郎氏。同氏は、97年に当時勤めていた日本IBMを退社して中和石油に入社、常務に就任した。謙次郎氏は、2009年同社の新事業となるレンタカー事業「ちょいのり」を自社のガソリンスタンドを使って始めている。
葬儀副委員長として弔辞を読んだアークス横山社長は、「1961年秋、札幌で2番目のスーパーを開業した時、取引を開始したのが中和石油山鼻サービスステーションで先代社長の自宅がすぐ近くにあった。当時、達史社長は中学生だった。その後、社長に就任されてから35年間、経済界や福祉事業、北大同窓会などで一緒になることが多かったが、その人柄には全幅の信頼を置いていた」と故人を偲んだ。
達史氏は、インテリ臭がなく偉ぶらない中にも頭脳明晰な面が垣間見えた。タバコはハイライトを好み、茶目っ気たっぷりに目を細めて柔和に話す姿には愛嬌があった。
葬儀委員長のEMGマーケティング合同会社(東燃ゼネラル石油子会社)の横井敬和副社長は、遺族を代表して挨拶、謙次郎常務が社長に就くことを紹介した。
告別式は9日午前10時から同所で行われる。