炭砿閉山55周年事業「羽幌炭砿三山大集会」開催、太陽鉱工・鈴木一史社長「羽幌炭鉱が当社を救った」

社会・文化

 羽幌炭砿閉山55周年事業として、「羽幌炭砿三山大集会」(羽幌炭砿ファンクラブ主催)が、2025年9月27日、羽幌町北3条1丁目のはぼろ温泉サンセットプラザ大ホールで開催された。炭砿で働いていた人たちやその家族、羽幌炭砿を運営していた旧鈴木商店関係者ら約100人が参加、交流を深めた。(写真は、「羽幌炭砿三山大集会」を主催した羽幌炭砿ファンクラブ)

 羽幌炭砿三山(築別坑、本坑、上羽幌坑)大集会は、45周年事業以来10年ぶりに開催された。最初に、地元コーラスグループの「はぼろコールスマイル」が、羽幌町副町長の三浦義之さん(閉山時に北辰中学生)が作詞作曲した「炭砿(ヤマ)がふるさと」を合唱して始まった。その後、羽幌炭砿ファンクラブ会長の室田憲作さん(91)が、登壇して挨拶。室田さんは、閉山当時は、築別炭砿の太陽小学校教諭を務め、その後、小中学校校長、羽幌町の町議会議長なども務めた。

 室田さんは、「閉山によって300人から400人もいた子どもたちが、波が引いていくようにいなくなり、20数人の先生方も次々と新しい任地に旅立っていった。閉山の年の5月22日、子どもたち16人で閉校式を行った。電気も水道も止まる5月31日の朝、誰一人の見送りもない中、私は学校の電気と水道を止め、羽幌町へ引っ越した。ただただ、悲しく後ろ髪を引かれる思いだった」と当時を振り返った。続けて、「本日は、遠く本州や道内各地から参加いただいた。羽幌の町の子どもたちも、炭砿があったことを知らない子が多くなってきたのは寂しい。ファンクラブは炭砿の存在を少しでも長く伝えていきたい」と挨拶した。
 その後、講談師の旭堂南龍(上方講談師真打)が、「鈴木商店発 羽幌炭砿物語」の披露して、分かりやすく羽幌炭砿の歴史を参加者に伝えた。

(写真は、「鈴木商店発 羽幌炭砿物語」を演じる旭堂南龍)
(写真は、挨拶する太陽鉱工・鈴木一史社長)
(写真は、約100人が参加した交流会)

 交流会では、羽幌町町長の森淳さんが登壇、「羽幌炭鉱は、かつて町の経済と暮らしを支え、日本の高度成長を陰で支えた誇りの存在だった。本日は、鈴木商店や炭砿経営に尽力された太陽産業(太陽鉱工)の子息の皆さんのほか、双日、神戸製鋼所、サッポロビールなど鈴木商店の関連企業の皆さんも参加されている。過去を語り合い、未来への思いを共有して次の世代へと記憶を継承し、地域の未来の発展に繋がるコミュニティ形成の場になると幸い」と挨拶した。

 続いて、太陽鉱工の鈴木一史社長が登壇。鈴木氏は、「当社は設立76年目だが、創立初期は苦しい経営が続いた。合金鉄の製造が軌道に乗らなかったのを、羽幌炭砿の配当金が支えてくれた。また、羽幌炭砿から得た収益を研究開発に充て、使用済み触媒からレアメタルを抽出する技術を成功させ、会社が拡大していった。当社の社員も、こうした歴史を知っている人が減っているが、羽幌炭砿の歴史は、次世代に繋げていかなければならない。今日は娘も連れてきた。今の私たちが当然と思っていることが、なぜできているのかを伝えていきたい。こうした集会を今後も開いていただいて、当社も若い社員たちを送り込みたい」と話した。翌日には、約40人が参加して三山炭砿巡りが行われ、現在も残っている貯炭場や立抗、羽幌本抗抗口などを見て回った。

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