北海道開拓使時代の遺構とも言える、札幌中心部のクランク道路が数年後に姿を消す。道路の中心線が、南北100m強にわたって東にずれているクランク区間はドライバー泣かせでもあったが、ちょっとした都心のスリリング区間でもあった。札幌市は歩行環境や車道環境向上のため、この区間の用地買収をほぼ完了、2年後の2023年度からクランク解消工事を始める。(写真は、東4丁目通のクランク区間)
(写真は、明治32年に作成された札幌市街之図に描かれている貯木場=水色部分とクランク道路)
創成川イーストを象徴する大型商業施設「サッポロファクトリー」の「フロンティア館」西側を走る東4丁目通。北1条・雁来通(国道12号線)から北2条まで100m強のこの区間だけが、東側にずれている。札幌中心部の道路は、碁盤の目のように南北と東西が直角に交わるような道路構造になっているが、東4丁目通のこの区間だけがクランクのようになっている。
その由来を知らベていくと、北海道開拓使時代に遡ることが分かった。1875年(明治6年)に開拓使は、北1条~北4条の東1丁目から5丁目にかけて工業局器械製作所を設けた。蒸気木挽器械所や水車器械所、錬鉄所などが設置され、伏籠川から引いた長方形の貯木場も2ヵ所設けられた。ここに木材を運び込んで様々な用途に使っていたとみられる。
しかし、工業局機械製作所は1886年(明治19年)頃には事業を停止、民間に払い下げられた。1899年(明治32年)に発行された「札幌市街之図」では、写真のように貯木場が2つ残っており、東側の貯木場の淵には中心線がずれた道路が描かれている。西側の貯木場は、東西南北の道路の中にすっぽりと収まっているが、東側の貯木場はやや大きかったため、クランク状にならざるを得なかったようだ。
その後、貯木場は埋め立てられて、当時の痕跡はどこにも残っていないが、唯一名残をとどめているのが、このクランク道路。150年近く前の遺構とも言える存在だが、札幌市は、東4丁目通の大通から北6条まで約830mの道路整備の一環としてクランクの解消を行うことにした。
クランク部分の用地買収はほぼ終了しており、現在は既に建物が撤去されている。今後は、北3条から北5条にかけて、ファクトリー駐車場の一部を用地買収して、2022年度に実施設計、2023年度から2028年度までの間に道路整備を終える。総工費は約19億円。この区間は、道路幅20m、歩道が5m×2、車道は2車線10mになる。
街中には開拓使時代の歴史的建造物などが多く残っているが、このクランク道路は当時から今に脈々と繋がる庶民史の実相と言える存在。道路整備による利便性向上が図られるとはいえ、一抹の寂しさを抱いてしまう。