根室でパティスリー、一流パティシエ上村卓也さん「帰郷して起業した理由」

社会・文化

 根室市出身で東京やパリで名を馳せた一流パティシエが、故郷の根室でパティスリー(洋菓子店)を開業した。上村(かみむら)卓也さん(42)がその人。サケマス流し網漁の禁止など根室は閉塞感が漂い人口減少も進んでいる。働き盛りの上村さんは、なぜ根室に帰って最先端の技術を生かしたパティスリーを開くことにしたのか。IMG_0703(写真は、最後に残ったカレボーチョコレートケーキを持つ上村卓也さんと由記子夫人=2015年12月25日午後、根室市松本町のパティスリー・モンタージュ)

 上村さんは根室高校出身。パティシエになる決意を固めたのは、アニメ映画「魔女の宅急便」を見てから。海の見える丘でお店を開きたい――その思いを胸に高校を卒業後、迷わず東京製菓学校に入った。修業を積み、東京にある外資系ホテルのフォーシーズンズに入社する。
 しかし、いずれは店を持ちたいという気持ちがあったため2年間で退職して、今度は吉祥寺のエスプリ・ドゥ・パリに移り、そこで12年間務める。最後の5年間はシェフとしてケーキ作りとパティスリー経営のノウハウを学んだ。
 
 やがて、もっと技術を極めたいと願うようになり、渡仏。そこで揉まれながら腕を磨き、2007年には「ガストロノミック・コンクール」の工芸菓子部門で優勝、パティシエとして一流の称号を獲得した。
 帰国後は、日本や中国、韓国の有名菓子メーカーの顧問を務める傍ら、東京銀座のパティスリーで所謂雇われシェフに。1日に200万円を売り上げる人気店を切り盛りしてきた。
 
 東京やパリで名を馳せ、もっと上を目指そうと考えれば東京や海外で自身のパティスリーを開くこともできたはず。しかし、高校卒業後25年の今年、上村さんは故郷に戻った。「根室でパティスリーを開店する」という強い気持ちが長い歳月を経て一層募ってきたからだった。
 
「根室の自然は、東京とは比べものにならないし、高校時代に思い描いた『海の見える丘で店を持ち、美味しいケーキを作り地元の人に買いにきてもらいたい』という夢を叶えたかった」と言う上村さんだが、Uターンを決意させたひとつに地元で働く同級生たちの存在があった。
「市役所には7人も同級生がいますし、根室を離れず頑張っている同級生がたくさんいる。私が帰ることで根室が少しでも活気づけば、という気持ちもありました」
 また、根釧地区の生乳には乳脂肪分が多く、洋菓子の素材にこと欠かないこともあった。素材の素晴らしさを知ってもらうには、地元で作り地元で食べてもらうことが一番ということを一流パティシエである上村さんは誰よりも良く分かっていた。
 
 上村さんは11月25日に「パティスリー・モンタージュ」を同市松本町に開いた。海の見えるこの土地は、明治20年創業の清酒「北の勝」を醸造している碓氷勝三郎商店社長の私有地。その社長は、上村さんが東京で活躍していたころからのファンで、上村さんが根室に戻るということで、誰にも貸さなかった土地を提供したという。
 店舗の設計は同級生の一級建築士に頼んだ。「彼とは高校時代に互いに『パティシエになる』、『一級建築士になる』と語り合った仲。お互い夢を実現したということで設計を頼んだのです」 
 上村さんと由記子夫人を含め6人で迎えたオープン初日は、400人が来店。10台ほどしか駐車できないため車は数珠つなぎになり、パトカーも出動する騒ぎになった。
 
 クリスマスの12月25日まで、上村さん夫婦は殆ど寝る時間がないほどケーキづくりに時間を費やした。一番力を入れたのが、ベルギー産のカレボーチョコレートを使ったもの。店の冷蔵庫にはそのケーキがひとつだけ残った。夫婦でささやかにいただくために取っておいたものだという。
 
 モンタージュという店名について上村さんはこう説明する。「洋菓子は何層も積み上げて作るものです。そうした作った菓子をピエスモンテと言いますが、モンタージュとは積み上げるという意味。それを店の名前に使いました」
 千葉県市原市出身の由記子夫人は、上村さんが最初に働いたフォーシーズンズホテルでフラワーショップに勤めていたのが縁で知り合い、1998年に結婚。「根室に来てから2ヵ月になりますが、まだ一歩も外に出ていません。お店が落ち着いたら根室の良さを実感したいですね」と由記子さんは話す。
  
 根室市では、地元の高校を卒業すると8割は進学や就職で地元を出るという。そしてその多くの卒業生たちは戻ってこない。現在、根室市の人口は約2万7000人。毎年800人ほどが減り続けている。サケマス流し網漁の禁止など水産業が基幹産業の根室市の人口流出はさらに強まりそうだ。
 上村さんは言う。「一度は根室を出ても、それぞれの分野でプロフェッショナルになって戻ってきて欲しい。本州の最東端に来てもらうきっかけをそうしたプロフェッショナルたちに創ってもらいたい。私は戻ってきてつくづく思います、ふるさとは良いものだと」

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