道教育委員会と道教職員組合(北教組)が2年前に破棄した「4・6協定」について、当時道教委の教育次長として北教組との交渉を取り仕切ってきた白髭俊穂さんが、協定破棄をいかに成し遂げたかについて明らかにした。交渉の中身には触れなかったが、協定破棄にどう臨んだかなど、当時の道教委の姿勢が見えてきた。


 白髭さんが、4・6協定破棄の舞台裏を明らかにしたのは、1月13日にホテルライフォート札幌で開催された北海道師範塾「教師の道」での講話。白髭さんは師範塾の副塾頭を務め、現在は道教委を退職して財団法人北海道体育協会専務理事に就いている。
 4・6協定は、昭和46年に道教委と北教組が締結した協定で、事前協議などが盛り込まれ、学校内で何をするにも組合側との協議を経た上で実施しなければならず、校長や教頭など管理職側の手かせ足かせになっていた。
 30年間、道教委一筋で仕事をしてきた白髭さんが「最後の恩返し」として捨石になる覚悟で臨んだのが協定破棄だった。当時の教育長だった吉田洋一さんから新設ポストの職員監を命じられると「2年間で解決しなさいというメッセージと受け止め覚悟を決めた」という。
 北教組との交渉に当たり、教育長と次長、さらに局長の3人の役割分担を明確にし、一度発言したらぶれずに言ったことに対しては最後まで諦めないことを決めたという。文部科学省やマスコミに対しても退路を絶った。
「北教組を敵に回しているわけではなく、向かっていくところは違っても同じ仲間」という気持ちで交渉を続けた。
「戦略や戦術にはきちっとしたものがなければ前へ進まない。それにやるべきことに大義があること。そしてその大義に共感が生れなければならない。道民に向けて大義を積極的に発信し続けた」という。
 ある時点で、道教委の組織内には吉田教育長のもとで協定破棄ができるかもしれないという前向きな雰囲気が浸透、それがまた交渉を後押しする好循環を生んだ。
 3年前の12月末、年末も押し詰まった26日に全面破棄で合意したが、その前夜に白髭さんは道教委の執務室でこう思った。「40年間の既得権が剥奪されることになり彼らは断腸の思いだろう。私たちには達成感はなくむしろモヤモヤしているのはなぜなんだろう。それは仲間意識から出ている不思議な感情のせいだろうか」
 教育現場を歪めてきたとされる4・6協定は破棄されたが、協定が結ばれたころはよど号ハイジャック事件や浅間山荘事件など世上が騒然としていた時期で、4・6協定は学校現場に階級闘争を持ち込もうと意図されたものだったという。40年間先送りされ守られてきた協定は、いずれは破棄されなければならないものだった。
 白髭さんは、「裏取引も何もない」と強調する。協定破棄から2年が経過、学校現場はどう変わってきたのだろうか。その効果検証がそろそろ必要になってきている。


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