「北のミュージアム散歩」は、道新文化センターのノンフィクション作家を育成する「一道塾」(主宰・合田一道)の塾生が書いた作品を連載するものです。道内にある博物館、郷土歴史館、資料館などを回り、ミュージアムの特色を紹介しながら、ミュージアムの魅力やその存在する意味を問いかけます。
第44回は、札幌市の「道立三岸好太郎美術館」です。ぜひご愛読ください。
(合田一道)
■第44回 「道立三岸好太郎美術館」 ~早逝したモダニストの作品を紹介~
道立三岸好太郎美術館の外観
札幌市内の中心部にある知事公館の庭園内に、道立三岸好太郎美術館(愛称「ミマ mima」)が建っている。昭和42年(1967)に札幌出身の画家・三岸好太郎の作品220点が遺族から北海道へ寄贈され、これをきっかけに設立されたものだ。美術館は初め北1条西5丁目にあったが、昭和58年(1983)、現在地に新館が建設されている。
館内の展示物は、時期により入れ替えがあるが、現在(令和元年12月21日~翌2年4月12日までの間)は「子どもと楽しむmima」と銘打って、子どもたちも楽しみながら作品を鑑賞できるよう、きめ細かい工夫が施されている。
三岸好太郎は明治36年(1903)、札幌で生まれた。祖父・梅谷十次郎は元御家人で浜益に住み、父・橘巌松は本州から流れて来てススキノの高砂楼で番頭をしていたという。異父兄に作家の子母澤寛(梅谷松太郎)がいる。
大正10年(1921)、好太郎は札幌一中を卒業して画家をめざして上京。同12年、第1回春陽展に出展した「檸檬(れもん)持てる少女」が入選、画壇にデビューした。その後も数多くの作品を描き、画壇に新風を吹き込みながら活躍したが、昭和9年(1934)、まだ31歳の若さで病死した。
この美術館には、前記「檸檬持てる少女」をはじめ、「兄及ビ彼ノ長女」、「赤い肩かけの婦人像」、「支那の少女」、「マリオネット」(あやつり人形)、「道化役者」、「コンポジション」、「オーケストラ」、「のんびり貝」、「大通公園」など多くの所蔵作品が展示されているが、これらを見ながら順に進んでいくと、好太郎の作風が、素人目にもわかるほど大きく変貌していっていることに気が付く。
館内光景1
館のパンフレットを見ると、画壇へのデビュー後、①大正15年(1926)に中国旅行しながら制作の新たな方向を模索した、②昭和4年(1929)からは、どこか憂愁を感じさせる「道化」や「マリオネット」をモチーフにした特異な作品を多く発表した、③翌5年には独立美術協会の創立に参加し、作風の奔放さを増した、④昭和7年からは前衛的画風へ転換させ、「オーケストラ」をはじめとするひっかき線による作品や抽象作品、コラージュ(貼り絵)などを多く制作した、⑤同9年にはまたも作風を大きく変貌させ、蝶や貝をモチーフにした作品を描くなど、自作の詩に連動するように幻想的な作品世界を創作する、などの経過をたどっている。
展示作品を前にして、好太郎の生涯にじっくり思いを馳せるうちに、作風の変化がより深く理解できるように感じた。
館内光景2
2階の図書コーナーにはビデオが備えられ、好太郎の生涯やアトリエにかけた夢などを詳しく説明している。また、このフロアーの片隅に彼のデスマスクが展示されているのを見て驚く。
好太郎は晩年、建築にも深い関心を抱き、斬新なアトリエの建築を計画したが、生きて完成を見ることはなかった。ちなみに、現在の美術館の吹き抜け空間、大きなガラス窓などは、好太郎の構想したアトリエ(東京・鷺宮)のイメージを設計に生かしたものだという。
好太郎の妻・三岸節子は、94歳まで長寿を保ち画家活動を続けた。この美術館にも現在、彼女の作品2点(「摩周湖」、女子美100周年記念版画集『徳の華』霧)が展示されているが、愛知県一宮市にある生家跡には、「一宮三岸節子記念美術館」が建っている。
利用案内
住 所:札幌市中央区北2条西15丁目(電話011-644-8901)
開館時間:午前9時30分~午後5時(入場は午後4時30分まで)
休刊日:月曜日(月曜日が祝日または振替休日のときは開館)・年末年始・その他祝日開館の振替、展示替期間等(詳しくは同館ホームページ等で確認のこと)。
交通アクセス:地下鉄東西線「西18丁目」駅下車、徒歩7分 札幌駅から車で5~10分
付近の見どころ:
道立近代美術館(札幌市中央区北1条西17丁目)
北海道の優れた美術作品をはじめ、国内外の美術品5、000点以上を収蔵した道内屈指のアート施設。多彩な展覧会(常設展・特別展)を数多く開催するほか、教育・情報サービスも行なっている。緑豊かな散策エリアとしてもお勧めだ。
文・写真 北国 諒星