「北のミュージアム散歩」は、道新文化センターのノンフィクション作家を育成する「一道塾」(主宰・合田一道)の塾生が書いた作品を連載するものです。道内にある博物館、郷土歴史館、資料館などを回り、ミュージアムの特色を紹介しながら、ミュージアムの魅力やその存在する意味を問いかけます。
第56回は、札幌市の「篠路烈々布郷土資料館」です。ぜひご愛読ください。
(合田一道)
■第56回 篠路烈々布郷土資料館
―篠路烈々布開拓と郷土芸能の伝統を伝えるー
篠路烈々布郷土資料館:正面
札幌市北区の百合が原公園の北隣に、地区の会館である烈々布((れつれっぷ)会館がある。「烈々布」とはアイヌ語が語源とされるが意味ははっきりわかっておらず、「ハンノキの多く茂るところ」、「道で切られた川」など諸説がある。今は地名としては残っていないが、かつての丘珠村、札幌村、篠路村にまたがる区域であった。
会館入り口付近に篠路烈々布開基百年碑(昭和57年=1982年建立)が建っており、会館の2階が篠路烈々布郷土資料館になっている。
会館横の住宅に住む中西俊一さん(91)が、資料館の管理をしていた。そこで、俊一さんから意外な話を聞いた。中西家は、かつて百合が原公園の敷地となっている土地に住んでいたが、公園建設に伴い土地を手放して、今の公園隣接地に住んでいる。ただ、当時の酪農に使うサイロだけは今も公園内に残されており、展望台として使われている。俊一さんは『篠路烈々布百年』(昭和62年、篠路烈々布開基百年協賛会発行)という郷土史誌の発行責任者でもあった。
百合が原公園に残るサイロ
明治14年(1881)、福岡県人が報国社を組織して篠路に入植し、同16年にその一部5、6戸がここに入植したことに始まった。以降、富山、福井各県などからも入植した。
会館2階のこじんまりとした資料館に入ると、開拓時代の農具や馬具、生活用品など、歴史を偲ぶ貴重な資料が所狭しと並んでいる。それらはすべて、富山県から移住した中西家をはじめ、この付近の開拓農家の子孫が、それぞれ持ち寄り寄贈したものだ。
展示コーナー
中でも目を引くのは、篠路獅子舞に使われる獅子頭と、篠路歌舞伎のパネル、写真などの展示物であった。
篠路獅子舞は富山県にルーツがあり、明治34年(1901)に烈々布集落の若者たちが中心となって始められた。獅子舞の保存会長は、今も中西俊一さんが務めており、篠路神社のお祭りに合わせて舞われている。
一方、篠路歌舞伎もやはりルーツは富山県にあるようだが、明治35年(1902)、若者たちが「若連中(わかれんちゅう)」という会を作り、篠路村烈々布集落で始められた。烈々布神社(現在は篠路神社に合祀されている)のお祭りのとき芝居を行ない、のちに「篠路歌舞伎」と呼ばれるようになった。
一時途絶えていたが、昭和60年(1985)に「篠路子ども歌舞伎」として復活し、今も受け継がれている。
こうした伝統芸能の背景には、開拓民の労働の厳しさを少しでも和らげようという心ある人びとの努力があったと知った。
獅子頭ほかの展示物
利用案内
所 在 地:札幌市北区百合が原11丁目
開館日時等:午前9時~午後5時。
ただし事前に電話予約が必要~電話(011)771―2058、中西俊一さん
入 場 料:無料
交通機関:JR札沼線(学園都市線)「百合が原駅」東口から徒歩7~10分
地下鉄東豊線「栄町駅」から中央バス乗車、「百合が原公園東口」停下車、徒歩5分
付近の見どころ:
百合が原公園(札幌市北区百合が原公園210番地)
札幌市を代表するフラワーパークで、昭和61年に「86さっぽろ花と緑の博覧会」の会場となる。敷地面積は25・4ヘクタールでユリ(約100種類)のほかライラックやチューリップなど多くの植物が植栽されている。温室、ロックガーデン、リリートレイン、遊具広場などもある。
電話:百合が原公園管理事務所 (011)772―4722
文・写真 北国 諒星