「北のミュージアム散歩」は、道新文化センターのノンフィクション作家を育成する「一道塾」(主宰・合田一道)の塾生が書いた作品を連載するものです。道内にある博物館、郷土歴史館、資料館などを回り、ミュージアムの特色を紹介しながら、ミュージアムの魅力やその存在する意味を問いかけます。
第2回は、札幌市豊平区月寒の「つきさっぷ郷土資料館」です。ぜひご愛読ください。
(合田一道)
■第2回 北部軍本拠地の名残をとどめた「つきさっぷ郷土資料館」
つきさっぷ郷土資料館正門前(札幌市豊平区月寒東2条2丁目)
札幌市内の地下鉄東豊線「月寒中央駅」で下車して15分ぐらい歩くと、「つきさっぷ郷土資料館」に到着する。赤レンガ2階建てのがっしりした洋館で、一見して由緒ありそうな雰囲気を漂わせている。
それもそのはずで、この建物は昭和16年(1941)、旧陸軍の北部軍司令官官邸として建築されたもので、そのことがこの資料館の特色を端的にあらわしている。
同館には、約4、000点にわたる各種資料が展示されている。先ず、1階の第1号展示室に入ると、月寒地区の開拓の歴史を示す年表、開拓民の使った鋤、鍬、鋸、斧、鞍などの生産用具、ミシン、おもちゃなどの生活用具がところ狭しと展示されている。
2階の第2号展示室には、旧軍隊関係のパネルや写真、資料などが数多く展示されている。中でも歩兵第25連隊の幹部や軍隊施設の全景、北部軍の幹部、“軍神”といわれた加藤建夫隼戦闘隊長(旭川市出身)などの写真や「己れを修めて人を治める」という北部軍司令官樋口季一郎中将直筆の書、日清・日露戦争の従軍兵士の陣中日記、アッツ島玉砕の絵などが、目を引く。
隣の第3号展示室に入ると、いにしえの暮らしを示す地券、小作契約書、証文、軍票などの古文書類や写真類が並び、第4号展示室には、やはり暮らしを物語る笠、蓑、ランプなどの生活用具、古銭、歴代戸長・村長の顔写真などが展示されている。そのほか、廊下には月寒地区に関係のある図書類が並んでいる。
もともと、つきさっぷ資料館のある月寒地区は、札幌の中心部から千歳方面に抜ける交通の要衝にあり、明治4年(1871)、岩手県人44戸が入植、さらに同15年(1882)頃からは福岡・広島・福井各県人が入植して発展してきた。したがって、この地区のめざましい開拓の歴史を伝える各種の写真・資料などは、相当見ごたえがある。
同時に、月寒地区は歴史的に“軍都”のような色彩を持つ独特の土地柄でもある。その沿革をたどると、明治29年(1896)、歩兵・砲兵・工兵の野戦独立大隊がこの地に置かれて、同32年、歩兵第25連隊となった。昭和11年(1936)には札幌周辺で陸軍大演習が行われ、昭和天皇が来町された。
その後の昭和15年12月、北部軍が創設された。同軍は東北の一部、北海道、樺太などを管轄する、わが国北方防衛の中核的な存在であった(昭和19年以降は「北方軍」、「第五方面軍」などに改編された)。終戦時の北部軍(第五方面軍)指令官は樋口季一郎中将だが、彼については特筆すべきエピソードがある。
昭和13年(1935)頃、ナチスの迫害を逃れて来たユダヤ難民がソ連・満州間の国境の町で立ち往生した事件が起きたが、ハルピン特務機関長だった樋口は関東軍などに掛け合って彼らの入国を認めさせ、一説では一万人以上といわれる多くの人命を救った。またアッツ島玉砕、キスカ島無血撤退、北千島の占守島攻防戦の責任者としても知られる。
戦後、月寒地区は連合軍の進駐、外地からの引揚者の定住などで混乱する。樋口の住んでいた北部軍司令官官邸も連合軍に接収され、昭和25年から58年までは北海道大学の月寒学寮として使用され、さらに札幌市が国から譲り受けている。一方、地元有志たちは、先人の開拓の功労、旧軍関係の歴史などを記憶に留めようと、月寒資料保存会を結成し、郷土資料館開設の運動を立ち上げた。その後、この運動は月寒地区町内会連合会に受け継がれて、昭和60年(1985)、札幌市と協定を結んで、「つきさっぷ郷土資料館」として開館するに至った。
同資料館の資料の収集、分類整理、常設展・特別展の企画実施などは、すべて住民のボランティアで行われている。
館内の展示光景
利用案内
所在地: 札幌市豊平区月寒東2条2丁目3番9号 電話:(011)854―6430
開館日時:毎週水曜日、土曜日
午前10時~午後4時。ただし冬期間(12月第2週~3月末まで)は休館
入館料:無料
休館日の利用:休館日に団体利用を希望するときは、予め問い合わせること。
交通機関:
・地下鉄東豊線月寒中央駅1番出口徒歩15分
・中央バス月寒東線(61番。札幌駅前~平岡営業所)月寒中学校前下車、徒歩5分
または同バス創成川白石線(75番。札幌北口駅~JR白石駅)月寒中学校前下車、徒歩5分
付近のみどころ
「月寒平和公園」(豊平区月寒西2条7丁目)
資料館の見学後、付近に点在する軍関係史跡などに足を伸ばせば、より深みのある歴史探訪の旅となるだろう。かっての北部軍司令部本部は、つきさっぷ郷土資料館のすぐ近くの月寒中学校の敷地(豊平区月寒東2条2丁目4)あたりにあったが、昭和21年(1946)に焼失した。
しかし、同司令部のレンガ製門柱2基だけが、やや西南方向にある月寒平和公園の入り口に移されて残っている。そのほか、同公園には軍馬忠魂碑・忠魂納骨塔などがある。
文・写真 北国 諒星