11月7日の旭川市長選で再選を果たした西川将人さん(42)が、離婚したという話が地元旭川で広まっている。投票日には早々と再選を決め、西川さんとともに万歳をした夫人だが、再選の喜びも束の間、2週間で破局を迎えた。
西川さんは、38歳で旭川市長に就任、当時は全国最年少市長として注目されたが、1期目には目立った実績をあげることができなかった。丸井今井旭川店の閉鎖など市中心部の衰退や新旭川駅の北彩都地区の再開発など旭川の命運を左右する課題が山積しており、西川さんは民主党や連合旭川の固い支持基盤をもとに再選出馬を9月後半に表明、知名度を生かして選挙戦を有利に展開した。
自民党は、出馬の意向を固めていた前旭山動物園長の小菅正夫さんを担ごうとしたが、小菅さんが様々な事情で突然の不出馬表明、急遽農業機械メーカー社長の佐々木通彦さん(55)を担ぐことになり出遅れ感は否めなかった。また、早くから出馬表明していた安住太伸前市議(40)は、みんなの党の推薦を受けていたが、7月の参院選以降、みんなの党への期待が急速に萎み浸透しなかった。
投票結果は、西川氏が8万2992票で佐々木氏に5票以上の大差をつけて再選を果たした。
西川さんは投票日当日が42歳の誕生日で、バースデー当選とオメデタの二重奏になったが、この時点では夫人と破局が水面下で進行していた。
西川さんは、旭川東高から北大工学部卒。JALに入社して副操縦士になったが政治家を目指して退社。2000年に自由党から総選挙に出馬して落選。その後、01年参院選、03年総選挙、04年参院選といずれも落選。06年に旭川市長選に出馬、五十嵐広三元市長・元官房長官の支援を受けて当選。
市長に就任するまでの不遇の時代を支えたのが雛靡(すみこ)夫人だった。事情通によると、西川さんと雛靡夫人との離婚話はかなり以前から進んでいたようで、今回の選挙戦ではお互いにこの問題を封印することを約束しあっていたという。雛靡夫人は初当選のときと同じように尽力し、再選を無事見極めたうえで離婚に踏み切った。内助の功を果たした上での別離に理解を示す関係者もいるようだ。
再選した西川さんには、待ったなしの市政課題が山積している。1期目で「いい人」と評価された西川さんが「やる人」に変わるためには重い決断が避けられない。私生活での重い決断は、西川2期目の市政にどう影響してくるのだろうか。