宮城、岩手の震災がれきの受け入れを巡り、高橋はるみ北海道知事と上田文雄札幌市長の対立が際立ってきた。積極受け入れを表明する高橋知事に対し放射性物質が付着したがれきは受け入れないとする上田市長。国会で長谷川岳参議が上田市長を名指しするなど、震災がれきの受け入れは、放射性物質の有無を問わず、善悪の問題として感情論の踏み絵になりかねない。原発を容認してきた「なし崩し」の再来が震災がれきの受け入れ問題であってはならない。(写真は、上田文雄札幌市長)
 
 震災がれきの広域処理は、復興を一日も早くスタートさせるには不可欠の問題。しかし、そこに放射性物質が付着していればそう簡単ではない。現状では、震災がれきに含まれる放射性セシウムの基準が、国、道、札幌市で違う。国は1kg当たり240~480ベクレル以下、道は100ベクレル以下、札幌市は通常、市の清掃工場の焼却灰に含まれる13~18ベクレルであれば受け入れ可能としている。市の基準は自然界で避けられない放射性セシウムと同レベル。つまり放射性物質が付着していないことが条件としているわけだ。
 
 上田市長は、12日の定例会見で「新聞等のメディアで『がれき拒否』の見出しで報じられるのは不本意。放射性物質のある、なしを分けて考えてもらいたい。汚染されていなければ当然受け入れる。私は初めからそう言っている」と語気を強めた。
 
 上田市長の姿勢を「個人の信念」と北海道新聞のインタビューで述べた高橋知事に対しても当の上田氏は「積極受け入れを表明した高橋知事と私とは意見が違うんだなと思う。高橋知事が、(放射性物質の付着したがれきを受け入れないことを)私の信念とか個人的見解、生き方のように受け止めているとすれば心外」と述べたうえで、「これ以上詳しく言うと、それ自体が風評被害と言われる」と含みを持たせた。がれき受け入れの可否を理性的に判断している上田市長が、高橋知事の発言に感情的に反応しては自己撞着になってしまうと言葉を呑んだように窺えた。
 
 国の基準や道の基準に安全という客観的な根拠があるわけではない。ただ、国の基準ならば、がれきを焼却処理しても廃棄物処理場の周辺住民の被曝量が国際放射線防護協会の勧告値である年間1㍉シーベルトを下回る0・01㍉シーベルト以下になるとしている。
 
 上田市長は、チェルノブイリ事故や核実験などで排出された放射性物質がゴミに付着しているのは避けられないが、放射性物質を拡散させて人為的に環境を変えていくことは防ぐべきと主張する。
 
 東日本大震災で、「絆」という言葉が国内中の共通言語として国民の連帯感を醸成していった。離れ難い結び付きを表す「絆」が、被災者や関係者に勇気と共感をもたらしたのは事実。しかし、「絆」には繋ぎ止めるという意味もある。「絆」という言葉で震災がれきの受け入れ可否を判断することは、原発を容認してきたことと同じ「なし崩し」の危険性が潜む。
 
 放射性物質が付着している震災がれきの受け入れ拒否を明言している上田市長を翻意させるための包囲網は着々と築かれているようで、早晩政権中枢の大物が上田市長に直談判する機会が訪れるだろう。歴史的評価に晒されている上田市長はどう判断するのだろうか。


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