夜、帰宅すると玄関の郵便受けを開ける。日曜日や祝日を除いた毎日のルーティン、身体が覚えている行動の一つ。北海道新聞が夕刊を廃刊してから3日、身体に染みついた行動を、つい繰り返してしまう。そしてはたと気づく、「夕刊はもうないんだった」。(写真は、北海道新聞の2023年9月30日夕刊紙面)
新聞を購読しなくなった人も多い。新聞を読まなくてもテレビやネットで、こと足りるから必要性がないという人が増えているからだ。新聞社の部数減をみればそれは明らか。まして朝夕刊セットで購読している人はかなり減っていることだろう。長く夕刊のある生活をしてきた身にとって、夕刊はあるものという意識が染みついている。例え読むところが少なくても、頁をめくる行為が自然な夜のシーンだった。その時には、一度朝刊を眺め直してから、夕刊を眺めることにしていた。玄関の郵便受けの話にも通じるが、長い時間をかけて身に付いた身体の動きは、自然と出てしまう。道新が夕刊を廃止して3日経っても、夜、朝刊から夕刊に向う手の動きが止まらない。夕刊を探そうとして、あっと気づく繰り返し。
紙面の中身は別にしても、夕刊は一日の区切りという人も多かったのではないか。夕刊がないために、つい休日と勘違いしてしまう人もいるだろう。夕刊廃止を頭で理解していても、身体が馴染まない。帰宅して郵便受けを開けなくなるまで、もう少し時間がかかりそうだ。