北海道新幹線と新千歳空港――陸と空で道庁の調整能力が試されている。調整能力というのは単なる仲介役ではなく、確固とした将来構想の下に相反する利害を合意点にもっていく交渉力と洞察力が必要となる。ある意味では、行政の根幹をなす能力といえるかも知れない。
まず、北海道新幹線。焦点になっているのはJR北海道が新函館と函館の間も経営分離すると表明したことだ。もともとは94年の横路知事時代に新函館と函館のアクセスは道が中心になって協議するとしていたが、高橋知事になってから05年に方針転換、函館への乗り入れは困難との姿勢になった。
その後、函館市長も変わり爆弾を抱えながらもこの問題は表面化することはなかったところへ、JR北海道が5月に入って経営分離を表明、一気にヒートアップした。横路知事時代の玉虫色の結論先延ばしに端を発するものの、高橋道政になって約束を反故にしたことが函館市との信頼関係を破綻させてしまったのが一番の原因。
並行在来線の経営分離は整備新幹線の条件にもなっている。道と函館市の溝は大きく当事者のJRを交えた合意への到達は、あちこちにぶつかりながらナローパス(狭い道筋)を突き進むことになる。
もう一つの新千歳空港。こちらは24時間化が焦点になっているが、地域住民の協議会と交渉が始まっており曙光が見えている。しかし、交渉開始までに実に6年間の沈黙があった。
実は新千歳空港は24時間空港なのだが、実際は地域住民との合意で6便の枠がある。滑走路延長も堀知事時代の01年に合意しているが、その条件が空港の第二ターミナルビルを苫小牧側に設置するということだった。しかし、その後高橋知事になってこの合意事項を白紙に戻すことになり地域住民との信頼関係が崩れた。以来6年間は、失われた6年となり一度も地域住民の協議会と道の話し合いは行われなかった。この6年間によって、北のゲートウエイは頓挫、新千歳空港の地位低下は明らかだった。
6年を経て、ようやく始まった地域協議会との交渉は、6便の枠を撤廃して文字通り24時間化を進めることにある。
北海道新幹線にしても新千歳空港にしても北海道には不可欠なインフラであることは誰しも認めるだろう。
新千歳空港問題で道が経験した失われた6年の重みを、北海道新幹線でどう生かしていくか、行政の力量が問われる局面になっている。
(写真は、高橋はるみ知事と中島尚俊JR北海道社長)