元マックスバリュ北海道出戸信成氏が講演、リージョンズ「M&A成長戦略セミナー」

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 採用・転職コンサルティングや経営イノベーション事業を行っているリージョンズ(札幌本社・札幌市中央区)は、元マックスバリュ北海道社長の出戸信成氏(56)を講師に招いた「M&A成長戦略セミナー」を2月14日にオンライン開催した。出戸氏は、マックスバリュ北海道の業績がV字回復した当時の社長を務めており、前年割れを続けていた業績が回復した原動力などについて話した。(写真は、オンラインセミナーで講演する出戸信成氏)

 出戸氏は旧札幌フードセンター創業者の孫で、大卒後に勤務していたキューピーを退社して1994年に旧札幌フードセンターに入社。同社は、ジャスコ(現イオン)と業務提携した後、2000年に旧北海道ジャスコと合併してマックスバリュ北海道になり、2003年にイオン(本社・千葉市美浜区)子会社になった。

 マックスバリュ北海道誕生以降、新規出店を続けるが業績は低下。2003年には王子サービスセンターの食品スーパー5店舗を譲り受けたものの、業績は回復しなかった。「王子サービスセンターの5店舗を承継したが、承継前よりも利益を落としたことは悲しかった」と出戸氏(当時は取締役管理本部長)。
 業績が悪化していったことについて、出戸氏は「SM(食品スーパー)の勝ちパターンが出来ていなかった。札幌フードセンターは駅前や住宅地に強かったが、郊外店のノウハウはなかった。それなのに、店舗をつくって規模拡大すれば業績はついてくるという考えだった。競争力のないまま出店していったことで、業績は悪化していく一方だった」と振り返る。

 2010年に当時のイオン副社長の助言でDS業態「ザ・ビッグ」の展開を始めた。1号店は、既存店を改修した小型の「ザ・ビッグエクスプレス平岸店」(札幌市豊平区)。来店客が減少していた同店だったが、DS転換によって客数が回復。「お客さまが喜んで買い物をしている姿に涙が出てきた」(出戸氏)。赤字店のDS転換を進めていく中で当時の社長が急逝。
 取締役開発本部長だった出戸氏は、当時のイオン岡田元也社長に懇願して社長に就任。「祖父がつくった会社の流れを汲む会社に在籍できる最後のタイミングという思いが強かった。このままなら、私は去らなければならない。それならば社長を務めて思い残すことがないようにしたかった」と懇願した理由を話す。岡田社長への直談判は2時間に及び、「必ず成功させます、と40回以上お願いをした」(出戸氏)

 社長になった出戸氏は80数店舗を回り、店長とざっくばらんに話をする。店長と面談しても「人口減少の時代で売り上げは上がるはずがない」とあきらめムードが支配的だった。しかし、出戸氏には、DS転換で一定程度の回復を経験したことで、値段のつけ方や品揃えの在り方を一つずつ検証して積み重ねていけば、良い方向に向かう手ごたえがあった。各店長と話し合う中で、成功パターンを他の店舗にも横展開するなどやれることは何でも実行した。
 2013年頃からSM業態の「マックスバリュ」の売り上げも回復。そうなると店長たちの目の色が変わったという。「店長たちは『昨年より売り上げを落としたら恥ずかしくて店長会議に出席できない』と言うようになった。前年を超えないのは当たり前と言っていた店長たちの変わりように感動を覚えた」と出戸氏。

 気がつけば既存店売上高は、89ヵ月連続の前年超え(2015年3月の消費税反動減を除く)を達成、SM業界の勝ち組に入っていた。「私自身に成功の秘訣があったわけではない。ただ、良いと思ったことは即実行して、だめならやめて、うまくいけば横展開するようにした。いつ前のように(業績が)悪くなってしまうかもしれないという中で、後悔することがないように全力を出し続けた」(出戸氏)。

 V字回復を経て勝ち組になったことについて出戸氏は、「私自身が強い思いを持ち続けたこともあるが、何より従業員の協力があったことが大きい。現場で素直に声を聞くことを繰り返すうちに、みんながどんどん意見を言うようになった。それが好循環を生んだ原動力になったのだと思う」と話した。
 マックスバリュ北海道は、2020年3月にイオン北海道(本社・札幌市白石区)と統合、出戸氏は同社の副社長・管理本部長に就任。2021年5月に退任し、現在は北海道イシダ(同・同)顧問。

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