北雄ラッキー(本社・札幌市手稲区)の桐生泰夫会長(79)が、代表権のない名誉会長に退く。桐生会長は、同社の創業者で食品スーパーの黎明期から現在まで半世紀に亘って成長をリードしてきた。名誉会長就任は、事実上の引退で、社業は会長に就く川端敏副会長(63)と桐生氏の長男で社長を務める宇優(ひろまさ)氏の2トップ体制になる。5月26日の定時株主総会で決定する。(写真は、桐生泰夫会長=左と川端敏副会長。2014年7月に建て替えられた山の手店の内覧会で)
名誉会長に退く桐生会長は、1937年4月生まれ。明治大学卒業後の61年に北酒販に入り、翌62年に実父が西区山の手で創業していた桐生商店専務に就き、酒屋として御用聞きからスタート。その後、62年に「山の手ストアー」と呼称、69年には当時始まったセルフサービスを導入した食品スーパーの原型を作った。
その後の米国視察で現地のスーパーが果たす社会的役割に衝撃を受け、71年にオレンジチェーン(現在の北雄ラッキーのルーツ)を設立。仲間4人とオレンジストアを展開したが生鮮物流がネックになってチェーンストア化がうまくいかず3年でチェーン化から撤退、桐生氏は単独で150坪級の食品スーパーを運営。
成長への転換点になったのが、75年の1000坪にも及ぶ太平店(現・北49条店)のオープン。衣料の「まるせん」との共同出店で、アメリカンスタイルの郊外型店舗としては札幌市内初。桐生氏38歳の時だった。その後、「まるせん」との共同出店を続け昭和57年に合併、現在の北雄ラッキーが誕生した。ラッキーの名称は米サンフランシスコの食品スーパーを参考にしている。
その後、大型店出店や道東への進出など店舗数を拡大、2002年には株式を店頭登録(現ジャスダック市場)、ほぼ現在の業容になった。
桐生氏は、2009年9月に代表権のある会長に就任、社長ポストを大卒一期生で生え抜きの川端専務に禅譲。16年3月には桐生氏の長男で取締役専務執行役員だった宇優氏が社長に就任、川端氏は代表権のある副会長として3トップ体制になっていた。
宇優氏の社長就任から1年が経過、このタイミングで桐生氏は代表権を返上、川端会長―宇優社長の2トップ体制に完全移行することになった。山の手ストアーから54年、道内流通業界を形作ってきた経営者が名実ともに次の世代にバトンを渡すことになる。
同社のその他の役員異動は次の通り。(いずれも5月26日付)
▽取締役鴇澤賢治(執行役員経理部長)▽社外取締役吉田周史
吉田氏は吉田周史公認会計士事務所所長でジャスダック上場のホーブ(本社・上川郡東神楽町)や東証1部上場のCEホールディングス(同・札幌市白石区)の社外取締役(監査等委員)も務めている。