JR北海道中島社長お別れ会 006 JR北海道相談役で元社長の坂本眞一氏(73)が余市港沖で遺体で見つかった。自殺の可能性があり水死とみられている。JR北海道の混乱が続いている中で、一線を離れたとはいえ経済界重鎮として活動するなど社内外に大きな影響力がある坂本氏の死去に関係者や経済界には無力感が漂う。2011年9月には現役社長だった中島尚俊氏も自ら命を絶っている。社長経験者2人が同様の道を選んだことは一体何を意味するのか。(写真は、故中島社長のお別れ会で故人を偲ぶ会場で展示されていた坂本氏=右と中島氏が写った一枚)
 
 昨年9月のJR函館線大沼駅構内での貨物列車脱線事故以降、レール幅の異常放置や脱線直後のレール幅改ざん発覚などJR北海道は公共交通機関としてまさに存亡の危機に陥っている。
 国交省や官邸が人事刷新や体制変革を行う環境整備を進めていた矢先の坂本氏死去は、JR北海道の抱える闇が想像以上に深いことを改めて知らしめる結果になった。
 
 坂本氏は、大学教授を父に持ち東京で生まれ、北大工学部を卒業後の1964年に国鉄に入社した。87年に国鉄民営化で発足したJR北海道の取締役鉄道事業本部営業部長に就任し96年に大森義弘社長からバトンを継いで2代目社長に就任、2003年まで務めた。その後会長を経て07年から相談役に退いていた。
 
 社長時代には、JR札幌駅南口再開発を主導し、大丸と組んで「JRタワー」も完成させ非鉄道事業での収益基盤を確立。北海道にエキナカ(駅中)事業を誘致した功績は大きい。
 坂本氏は旧国鉄幹部としては珍しく社交家で人脈も広く、政治・経済・社会・芸能・文化など幅広い交遊関係があり道内経済界の重鎮として存在感を放っていた。06年から道経済同友会代表幹事、08年からは道観光振興機構の会長も務め、とりわけ観光には一家言を持ち北海道観光のリード役として活躍。最近では北海道版成長戦略をまとめる北海道産業競争力会議のメンバーとして観光面から持論を唱えていた。
 
 また、北海道公安委員会の委員も務め、観光振興機構会長に就任して以降は業界団体トップが委員を務めるのは相応しくないとして自ら退任している。
 営業の坂本と呼ばれ、その部下だった故中島氏とはコンビとされ芸能・文化面での人脈は重なる部分が多かったとされる。中島氏がJR石勝線特急脱線炎上事故の対応で多忙を極める中、遺書を残した石狩浜沖で入水自殺した後も気丈な姿を見せていたのが印象的だった。とりわけ、中島氏の死去後に行われた道経済同友会の講演会では、両氏と関係の深かった飲食店オーナーを講師に招いたこともあった。
 
 豪放磊落な性格は誰からみても分かるほどで、10年前に発足した高橋はるみ道知事誕生の原動力にもなり、3期目半ばになって経済人の“高橋離れ”が進む中でも後見人的な役割を自他ともに認めるほどだった。
 そんな坂本氏が自ら命を絶ったとすれば、JR北海道にはまだ表面化していない問題が潜んでいると言わざるを得ない。不正や不祥事の追及で警察や検察が動いている訳でもない。坂本氏への取り調べがあったとも聞かない。
かつて社長を務めていたとは言え、現在は取締役でもない相談役で、経営責任を直接追っている訳でもない。
 
 中島氏の死去から2年5ヵ月、坂本氏の緊張の糸が切れたのはナゼなのか。中島氏と同様にいくつものナゼを関係者のみならず多くの道民に投げかけている。


1人の方がこの記事に「いいんでない!」と言っています。