釧路からまた地域に根差した光景が消える。釧路石炭列車の廃止である。春採湖畔から釧路港までの約4㎞を結ぶ鉄路は、釧路繁栄の記憶を現在に承継してきた生き証人とも言える存在だった。開通から94年、必然の終焉があらためて地域に過去との訣別を迫っている。(写真は、太平洋石炭販売臨港線のD801が牽引する石炭列車)

 釧路石炭列車の正式な呼び名は、太平洋石炭販売輸送臨港線。海底炭を採炭していた太平洋炭礦の関連会社が1925年(大正14年)に選炭場のある春採(はるとり)と貯炭場のある釧路港の知人(しれと)の4㎞で運行を開始したのが始まり。石炭輸送のほか、63年までは旅客事業も行っていた。79年から太平洋石炭販売輸送が運行を担うようになった。

 太平洋炭礦は2002年に採炭を休止、その後は釧路コールマインが採炭を引き継いだが、採炭量は年々減少。最近は1日1便ほどになり、当初の予定より1年遅れの20年に稼働する釧路火力発電所で使う石炭も、臨港線を使用せずトラック輸送になるため輸送需要は見込めない。
 このため、太平洋石炭販売輸送は廃線を決定、予定では3月末に休止して6月にも廃止になるという。

 釧路では、市民に親しまれてきたイトーヨーカドー釧路店の閉店や日本製紙アイスホッケーチーム「釧路クレインズ」の廃部決定など、年明けから重たいムードが漂う。釧路石炭列車の廃止は予想されたこととはいえ、閉塞感に拍車をかけることになった。共に歩んできた歴史の必然の終焉に、地域に住む人たちは向き合わざるを得ない。その切実さは察するに余りある。


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