北洋銀行の吉野次郎副会長(67)が、来年6月に退任する見通しだ。吉野副会長は、札幌銀行頭取を経て北洋銀行との合併を機に副会長に就任していた。札幌銀行出身で北洋銀の役員に就いているのは関川峰希常務1人になる。
札銀は1999年に北洋銀と業務提携し2001年4月に経営統合、札幌北洋ホールディングス傘下の子会社として再スタートした。その後08年10月にはホールディングス傘下の札銀と北洋銀が合併して新生・北洋銀として現在に至っている。
吉野さんは、97年に54歳で札銀頭取に就任、北洋銀との業務提携から経営統合、合併に至るまでの行内世論を取りまとめ、事実上、札銀最後の頭取になった。
新生・北洋銀になって以降、吉野さんの出番がめっきり減ったことは否めない。会長の高向巖さん(72)は、札幌商工会議所会頭として「体を壊すほど多忙な毎日」(高向会頭)を送っているし、横内龍三頭取も公的資金の導入や旧拓銀跡に建設した北洋大通センターの竣工など表舞台での活動が目立った。
吉野さんは、副会長として中小企業融資の拡大を担当しているが会長―頭取の狭間で吉野さんが持つカラーが十分に発揮できたとは言えない。
札銀は1950年に北海道無尽として設立され、初代社長には拓銀出身の道家斎次さんが就任、翌年には北海道相互銀行(道相銀)に転換、同じく拓銀出身の水出久雄さんが社長に就いた。3代社長も拓銀出身の潮田隆さんで、89年の負銀転換で札銀に名称を変更、潮田さんも頭取に呼称が変わった。札銀初のプロパー頭取は潮田さんの後を継いだ川西徹さんだったが現職頭取のまま死去、吉野さんはプロパー2代目頭取だった。北洋との合併で最後の頭取の役割も担うことになった。
札銀の歴代頭取が退任後に就く唯一のポストが、輪厚ゴルフ場を運営する社団法人札幌ゴルフ倶楽部理事長。吉野さんも数年前から理事長を務めている。輪厚は道内ゴルフ場のナンバーワンとして歴史と伝統、格式を誇るが、理事長は名誉職で報酬もない。北洋副会長の転出先として名はあるものの実の面では十分とは言えない。
新生北洋銀の行員数は約3700人でそのうち約700人が旧札銀行員。旧札銀のトップを務めた吉野さんの退任は旧札銀行員たちの心にさざ波を立たせるかもしれない。
旧札幌銀行の本店は現在、新生北洋銀のブランチとして使われているが、来年には北洋大通センターに集約され。札銀は郷愁のバンクとして装いを強め始めた。
(写真は旧札幌銀行本店が入っていたビル。現在は北洋銀行になっている)