稚内信用金庫(本店・稚内市)元理事長で北海道信用金庫協会会長などを歴任した故井須孝誠さんの通夜が20日午後6時から札幌市清田区北野の円楽寺で営まれた。密葬形式で行われたが、道内金融関係者や経済関係者が多数参列、最後の別れを惜しんだ。葬儀はきょう21日午前9時から同寺で、また、年が明けてから稚内市内でお別れ会を行う。(多くの関係者が故人との別れを惜しんだ=2014年12月20日午後7時ころ、札幌の円楽寺で)
井須さんは、今年7月末から体調を崩し、JR札幌病院に入・退院を繰り返していた。10月26日に呼吸困難でJR札幌病院に再び入院、12月18日午前3時3分、肺がんのため死去した。81歳だった。
1933年5月11日稚内市生まれ。国鉄職員を父に3人兄弟の長男として生まれたが、父が車両事故で若くして死去。幼い3人を抱えて母親は女手ひとつで井須さんたちを育てた。
中学卒業後、50年4月に前身の稚内信用組合に入り、51年に信金に改組された後、55年3月に稚内高校定時制を卒業した。その後、67年常勤理事、74年常務理事、78年専務理事を経て83年に49歳で理事長に就任。200カイリ規制で大きな打撃を受けた稚内経済の建て直しを成し遂げた。理事長在任21年目の2004年に会長に就任、10年には最高顧問に退いた。
95年から00年まで北海道信用金庫協会(北信協)会長を務めたほか98~01年は全国信用金庫協会副会長。13年から22年まで稚内商工会議所会頭も務めた。
井須さんは70歳を過ぎてから船旅をするようになり世界50ヵ国を観光で訪問するなど旅行が趣味になったという。今年は新年から毎月のように小さな旅を楽しみ、7月中旬に訪れた大阪のアベノハルカスと愛媛道後温泉が最後の旅になった。
札幌の円楽寺は、稚内信金の総代の1人と関わりの深い真宗大谷派の寺で、その繋がりから井須さんの実母の密葬もこの寺で行われた。井須さんは亡くなる前に夫人のかをるさんにこの寺での密葬を託していた。
通夜に多くの関係者が参列、北信協会長で旭川信金会長の杉山信治さんは、「井須さんは私が生まれた年には既に稚内信金で活躍されていた業界の大先輩。昨年秋の信金研究会で元気に挨拶されたが、その時に拓銀破綻の混乱を引き合いに出しながら『信金を潰すようにことがあってはならない。これは私の遺言です』と強調されたことが印象に残っています」と語った。