北海道から第2のニトリ、アインのような企業を輩出させようと、官民連携で若手経営者の育成に取り組んでいる北海道経営未来塾(塾長・長内順一未来経営研究所社長)第10期の第2回定例講座が2025年7月16日、札幌市中央区の札幌パークホテル1階テラスルームで開催された。エスコン(東京本社・東京都港区、大阪本社・大阪市中央区)の伊藤貴俊社長が、『“いかなる経済環境にも耐えうる経営基盤を確立し、持続的な成長を実現する”経営を目指して』をテ―マに30数人の塾生を前に、約70分間講演、今回は、後半を掲載する。(写真は、講演するエスコン・伊藤貴俊社長)
金融機関と交渉したことがなかった伊藤氏が、財務面も見ることになって直面したのは、金融機関からの借入金返済と社債113億円の償還だった。社債の償還期限は2009年6月。このため、伊藤氏は、まず金融機関に社債償還資金の融資をお願いした。しかし、償還期限の2ヵ月前の同年4月、金融機関から「出せない」と返事が来た。金融機関の借入金返済期限も同じ頃だったため、エスコンは、事業再生ADR(私的整理)を活用、金融機関には、3年間のリスケ(返済条件の変更)を要請すると同時に、社債権者にも3年間のリスケを要請した。しかし、社債権者は、外資系証券会社が中心だったため、ディスカウントをしてでも償還することを要求。
伊藤氏は、外資系証券会社との交渉で、7割のディスカウントで了承を得て、金融機関に、3割に当たる約30億円の融資を要請した。しかし、金融機関はやはり応じない。エスコンが倒産したら、社債は紙くずになるが、清算配当は5円くらいになるため、5円なら考えるとーー。再び、伊藤氏は社債権者と向き合い、95%ディスカウントの5円を5月末に支払うと通告した。当然、社債権者は「ふざけるな」と応じず、交渉は暗礁に乗り上げる。
しかし、社債権者たちは、リーマンショックで倒産した他の不動産ベンチャーの社債も保有していたため、エスコンが倒産すれば、社債は紙クズになることを理解していた。結局、社債権者は、85%のディスカウントならOKということになり、エスコンは、社債権者に3年間のリスケか、85%のディスカウントかを選んでもらうことにした。すると、89億円分の社債権者が、ディスカウントを受け入れると表明、その資金は約8億円だった。
さて、その8億円をどうするか。もちろん金融機関からは調達できない。実は、エスコンは、リーマンショックが起きてから、第三者割当増資で新たな株主の成り手を探していた。社債権者や金融機関と交渉を続ける一方で、大株主を見つける努力もしていたわけで、そこにタイミングよく5億円分を引き受けるという大株主が現れた。エスコン株式の25%分を引き受けてもらうことになったが、まだ償還資金には3億円足りない。その大株主は、償還資金に必要な8億円まで増資を引き受けても良いという。
しかし、8億円を出してもらうと、エスコンの経営権もその大株主のもとに行ってしまう。そこで、伊藤氏は、創業社長のもとを訪ね、3億円の出資を要請する。しかし、社長は、もう会社にお金は使いたくないと。伊藤氏は、「あの頃は毎日、睡眠時間2~3時間でお金の工面と関係機関の調整に走り回っていた。社長に育ててもらったという気持ちも強くて、社長を守るのが使命だと思っていた。しかし、社長のその言葉を聞いて、膝が崩れ落ちるほどがっかりした」と伊藤氏。結局、8億円は、その大株主に出資してもらうことになり、その人物が筆頭株主になった。
8億円の出資によって、89億円分の社債は、95%のディスカウントで償還でき、残り23億円分の社債権者には、3年間の猶予と4年目以降の分割返済で合意、「一度はデフォルトになった社債が復活した、日本で初めてのケースだった」(伊藤氏)。社債償還にめどがついたことから、金融機関も借入金返済の3年間のリスケに応じた。
大きな難題にめどがついても、資金繰りは火の車だった。ADRは、金融債権者だけが対象で、施工業者などの一般債権者は、社長の意向で対象にしなかった。このため、毎月の資金繰りは綱渡りだった。そんな中、社長と、大株主になった人物との経営をめぐる対立が深刻になっていった。