若干24歳、都内には納入先は開拓できなかったが横浜や千葉、群馬、埼玉などに得意先ができた。スバルの軽4輪で配達を続けたが、真冬の群馬は赤城おろしで寒い。そのころ車には暖房がなかったため、鳥羽氏は寒さのあまり日本酒を1本買い、飲みながら体を温めて帰ってきたという。ある時は車のヒューズが切れて真っ暗な田んぼ道を走り、運よく見つけたガソリンスタンドでヒューズを取り替え帰ってきたこともあった。
会社が順調になると、社員の動きか緩慢に見えて無性に腹が立つこともあったという。そんな思いを吹き飛ばしたのが「長の一念ですべてが変わる」と「因果俱時」という格言だった。一日一分一秒の積み重ねが未来の自分に繋がっていく――一分一秒を無駄にできないと強く思ったという。
鳥羽氏は会社を大きくしても「なべ底3杯経営」で良いと考えた。大きくなった会社の利益を社員たちに分け、自分はなべ底に残った3杯分で十分だと言い聞かせて経営の指揮を執った。
26~27歳のころ、直営の喫茶店を作って経営を安定させようとした。運よく総合商社丸紅の社員と知り合い、その話をすると当時のお金で750万円を用立ててくれた。その店を社員に任せようとしただがそれがいけなかった。お金ごと持ち逃げされてしまったのだ。持ち逃げした社員相手に裁判を起こしたが、費用が続かず結局裁判に負けてしまう。
一時は飲んだくれて荒れたが、やがて鳥羽氏は開き直る。「騙された人間が悪で、騙した人間が善ということは絶対にない。お金を取られて失敗したが、良い勉強になった。なんとしても成功して、騙した人間に『お元気ですか』と言えるようになる」と。それから倒れるまで働こうと決め、実際に倒れてしまったことがあった。鳥羽氏は倒れるまで働けた自分が嬉しかったそうだ。
先輩を訪ねてそんな話をすると、その先輩は「倒れても倒れないのが経営者。倒れて喜んでいるようでは本当の経営者ではない」と鳥羽氏を一喝した。「あの時、倒れたことを一緒に喜んでくれたら今の自分はなかっただろう」。突き放してくれた先輩に鳥羽氏は今も恩義を感じている。(続く)