小清水町出身の馬場育訓・アロワ代表取締役が語る「1人起業、挫折、復活」

経済総合

 土屋ホーム(本社・札幌市北区)の創業者で現在、土屋ホールディングス(HD、同・同)の会長を務めている土屋公三氏(75)が塾長を務める若手経営者対象の経営塾「人間社長塾」の合同大会が16日、札幌市北区の土屋HD会議室で開催された。1期生から現在の7期生まで約90人が集まり、5人の塾生によるプレゼンテーションが行われた。IMG_9972(写真は、人間社長塾合同大会で話す1期生のアロワ・馬場育訓代表取締役)

 そのうち1期生代表として化粧品商材などの開発販売と美容室を経営しているアロワ(本社・東京都渋谷区)の馬場育訓(やすのり)代表取締役が起業の経緯や人間社長塾で学んだことなどについて発表した。

 馬場氏は、斜里郡小清水町出身で1968年生まれ。家業はクリーニング店経営でその次男。子どものころは人前で喋れない引っ込み思案だったが、小1の時にスーパーカーブームが到来してのめり込む。スーパーカーが掲載されている少年漫画を読み続けて小5になって気づいたのが、スーパーカーを持っているのはみんな社長だということ。その時、「オレも社長になって30歳までにポルシェに乗る」と心に決めたという。
 
 車や機械を触るのが好きだったため、最初は自動車整備工場を作って社長になることを考えたが、お金がかかると断念。「金をかけずに社長になれるのは美容師だ」と中学、高校を地元で過ごしてから美容学校に入るため札幌に出た。
 しかし、社長になること、スーパーカーを買うことを優先してバイト三昧。学校には行っていたものの身が入らない。直観的に「東京に行った方が良い」と思い、当時乗っていたスーパーカーではない普通のクルマにテレビと布団だけを積んで苫小牧からフェリーで東京へ。銀座をスパイクタイヤで走った思い出があるという。

 運よく倍率数十倍という美容室に入り腕を磨く。東京生活にも慣れてお客も付き始めた25歳のころ、「社長になろうと思っていたのに、このままじゃダメだ。独立する」と札幌に戻って美容室を26歳で1人で起業した。
 貯金していた100万円を敷金にビルの8階に部屋を借りローンで美容器具を揃えた。しかし、お客はゼロ。チラシをポスティングしても誰も来てくれない。道行く女性に声を掛け続けたという。「ホントに切羽詰まっていたので一対一で声を掛けると理解してくれるお客様もいて何人かは来てくれるようになった」。

 それだけでは回っていかないので、開店して3ヵ月後に『20代の綺麗な人たちが集まる美容室』となけなしの金で広告を出したところ、それが当たった。お客は増え、店で合コンや鍋パーティーをしたり、折からのテレビドラマ『ビューティフルライフ』の美容師ブームもあって一躍カリスマ美容師の1人としてメディアにも取り上げられるようになった。東京にも店を出し、すべてが順調だった。
 
 そして30歳の時、ポルシェを買った。子どものころからの夢を叶え順風満帆と思っていたところに魔がさしたのか、意思疎通がうまくいかずスタッフの退社が続き、美容室の成長が止まる。顧客リストを持っていかれたこともあり業績は右肩下がりに。「業績が良くなるのはゆっくりだけど、悪くなる時は一気に悪くなることを思い知った。30歳をピークに長いトンネルに入った」。
 
 その後、子どもがアトピーだったこともあって肌に優しいスキンケア商品やヘアケア商品を自ら開発、それを販売する化粧品等の商材会社を設立。経営的には可もなく不可もなかったが人生の目標を失った思いが強かったという。
 
 41歳になった2009年、ふとしたことで土屋塾頭の人間社長塾を知る。1期生として入塾。そこで「自分は野心だけで経営してきたと振り返ることができた。世のため人のためという志が足りなかった。成功者と言われる人たちは志で経営していることが理解できた」。
 
 30歳からの長いトンネルの出口を見つけたのは3年前、45歳の時だった。「アロワや美容室のサンクの従業員を含めて我々の大志として2028年までにベトナムで美容室を300店作ることを決めた。女性が綺麗になることと経済成長は比例する。我々は美容室を作ってベトナムの経済成長を後押ししたい」
 馬場氏は、土屋塾頭のこんな言葉が大好きだそう。《大ボラは大仕事の前触れ》《人生、自分が思った通りになる》。

 なお、このほかに今回の人間社長塾合同大会でプレゼンテーションしたのは、住宅パイル工業の荒谷健社長、ログオンシステムの飯塚昭雄代表取締役、日本一金物店の山本大樹社長(=以上7期生)、プレミアム北海道の神林達也専務(6期生)。

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