札幌商工会議所は24日、「ものづくりの哲学」講演会を北海道経済センターで開催、東京・大田区のものづくり企業が集まって挑戦している『下町ボブスレープロジェクトの軌跡』と題して、リーダーの細貝淳一氏(47、マテリアル代表取締役)が90分間に亘って熱弁をふるった。札幌のものづくり企業などから約70人が出席、細貝氏の講演に聞き入った。(写真は、講演する細貝淳一氏)
細貝氏は1992年、26歳でアルミやステンレスの加工を行うマテリアルを東京都大田区に創業。定時制高校に通いながら20歳までに職を3つ掛け持ちして1000万円を貯め、それを元手に起業したが、「当時は100万円のフライス盤を買えば、1ヵ月で200万円の仕事があった時代。少ない資本投下でものづくりを始めることができた。しかし、今は3軸や5軸のマシニングセンターが必要で、3~5千万円の初期資本投下が必要。これでは新しいものづくり企業が出てこない危機感がある」と日本のものづくりを支える中小企業が今後、衰退しかねない現状を語った。
独立した当時の大田区のものづくり企業について、細貝氏は「工具がなければ貸してくれたり、仕事がなければ図面ごと渡してくれた」と古き良き助け合いの精神が溢れていたと振り返りつつ、「その後、中国・韓国・台湾の企業とのコスト競争が激しくなり工場数は半減、年間出荷額も2001年の約1兆円から10年には4730億円とこちらも半減状態。大田区4千の工場が一つになってもう一度仕事を取り返し、世界よりも先の技術を開発しなければ八方塞がりと考え、地域がひとつになれるプロジェクトとして氷上のF1と呼ばれるボブスレーの製作を選んだ」と述べた。
そうは決めたものの誰も先導する人がなくずるずると時が過ぎ、結局11年5月に記者会見して「ソチ五輪を目指す」と自ら縛りをかけてやらざるを得ない環境を作ったうえでプロジェクトがスタート。1号機はその半年後に完成、その年の年末に1号機を使った女子チームが全日本選手権で優勝の実績を残した。
下町ボブスレーはソチ五輪に女子が出場しなかったことや男子向けにも使うことができなかったため世界の檜舞台に上がることはなかったが、細貝氏は「4年後のピョンチャン(平昌)五輪を目指す」と力強く語った。
下町ボブスレーへの挑戦について、細貝氏は「横連携によって地域のものづくり企業が自分たちの技術を出し合い、地域ぐるみで最新技術を創りだす土壌ができた。技術の継承や人材育成への危機感は強いが、互いにディスカッションし合い地域魂を素直に表現できるようになった意味は大きい」と訴えた。
さらに、「この取り組みは、ものづくり中小企業が究極の下請け、選ばれる下請けになるためのモデルとして大田区から発信していくためのもの。日本の大手製造業の足下を照らしたいという思いが根底にある。大手と下請けが共存共栄できれば日本のものづくりは残っていくのではないか」と総括していた。