インタビューシリーズ 『この人とリアルな時間』①          北海道副知事山谷吉宏さん

人物・人事

P1080107 北海道リアルEconomyでは、経済を動かす人たちにスポットを当てインタビューをスタートさせます。極力事前シリナオを作らずぶっつけ本番のアドリブだけで対応する真剣勝負の対話にしたいと考えています。聞きたいこと、言いたいことが完璧に掬いきれないインタビューにはなりますが、応じていただいた方々の人間的な魅力が行間から少しでも読者に伝われば本シリーズの狙いは充分に果たされます。最初に登場していただくのは同副知事の山谷吉宏さん(59)。(写真は山谷吉宏副知事)

 
――座右の銘や好きな言葉を聞かせてください。
 
 山谷 『一球入魂、全力投球』ですね。今の立場でそういうことを言うのは青臭いとも思うが、仕事を成し遂げるにはこれしかない。手練手管で世の中の人を納得させてもみんなの力が湧いてくるわけではない。自分が全力投球しないで部下が全力投球するとは思えない。若い人たちの力を活かすとか、若い人たちに頑張ってもらわなければ、と言う人もいるが、自分が一歩引いてしまうような管理監督者は今の時代に若い人たちからも理解されないのではないか。まず自分が全力投球で投げ、そして若い人たちに「俺も一生懸命投げているけどそろそろ年だから次の試合の先発はお前が行け」とか、「締めのリリーフはお前がやれ」というようにしたい。僕は最後までそうやって走っているタイプなのだろうと思う。
 
――脚本家の倉本聡さんなど人脈の幅が広いのも山谷さんの魅力だと聞いています。
 
 山谷 道立劇場構想があった時に、何とか実現したいと思ったが、道の財政再建問題があってなかなか進まなかった。僕の夢は、道立劇場の幕が上がった際に全道の演劇や音楽、バレエをしている若い人芸術家の卵たちが倉本さんやつかこうへいさん、故人になられた井上ひさしさんたちと一緒にステージに上がることだった。そんな縁で倉本さんなどとのお付き合いができて今でも様々な場面でお世話になっています。
 
――道議会の対応では、山谷さんには独自の哲学があるそうですね。
 
 山谷 議会は真剣勝負の場です。議員さんたちは、住民と身近に接しているので本当のニーズを良く知っている。そういう観点から質問が来るから私たちも答弁を準備する段階の勉強会にも力を入れていて、私は結構しつこく勉強会をする。例えば事前に議員の方々と打ち合わせをした職員に「先生は他に何か言っていなかったか。思い出せ」と聴くと「そう言えば…」と出てくる。議員の方々の何気ない呟きにこそ本心が詰まっているものです。
僕が若いころに議会を回ることになって、先輩の主幹に教えられたことが『議員のバッチの裏には何万人という道民がいる』ということ。『道民に説明するのと同じだ』と。それが今でも議会に対する僕の根本姿勢です。
 
――高橋はるみ知事の存在は山谷さんにとってどういうものでしょう。
   
 山谷 知事は私が「間違えました」と言うと、「うん、わかった」とそれで終わります。また、「そうは仰いますが」ときちんと裏付けを持って説明すると「わかった」とスパッとしている。議論することがダメとか、そういうことは絶対にない方ですね。そういう意味では(私にとって)一番手ごわい人で勉強にもなる。しっかり見通し立てて持っていかないと見透かされます。尊敬していますし、あれだけアンテナを高く張り続けて地域をこれだけ回るのはすごい精神力だと思います。
 
――ところで、山谷さんの趣味は何でしょう。
 
 山谷 読書と野山を歩くこと。私は南区の芸術の森近くに住んでいますが、季節が良い時は自宅近くの山などを散策します。夏はPMFの練習をしているのを緑の中で聴けるスポットもあります。休日には5~6時間は歩き続けていますし、あのあたりの山道は殆ど歩いた。
 
 ――唐突ですが、なぜ道庁に入ろうとしたのですか。
 
 山谷 室蘭生まれで親は輪西で洋品店を経営していました。高校は理系で数学とか物理が好きだったが大学は文系(早稲田政経)。浪人時代は洋品店を手伝って結構売れ行きが良かったので店を継ぐことも考えたが、親父が「ちゃんと勉強しろ」と言うので継ぐのをやめました。大学は留年もしたので5年間通った。政治や哲学に嵌って朝から晩まで哲学の本ばっかり読んでいた。当時は『哲学好きの変なお兄ちゃん』でしたね。卒業が近くなって友人が公務員試験を受けていたので自分も受けようと。その友人が試験に必要だからと、日本国憲法概説とか行政法や民法の本、それに問題集もくれた。本を貰ったのが2月くらいだったから3ヵ月は集中して勉強しましたね。
 
 ――札幌で受験したわけですが、不合格だと思ったそうですね。
 
 山谷 日本国憲法の判例集を書けるくらいまでになりましたが、筆記の一次試験で『だめだ』と思った。でも何とか通過して面接試験に臨んだが、当時の自治省から出向していた総務部長に「君は随分、年だな」と。「何がやりたいのか。ふらふらしている人間に公務員をやられても困る」と面接なのにお説教みたいに言われた。「若いうちから進路が決まっている人がそんなにいますか」と答え、「迷い迷い、道が開けたらそれが運であり天職じゃないですか」と言ったことを記憶している。総務部長は「ふん」と聞くまでない雰囲気で帰された。
 
 午後から12人1組の集団討論があって、今でも覚えているがテーマは《高福祉高負担か中福祉中負担か》というもの。最初は1人ずつ語るのですが、福祉のことなど当時は真面目に考えたことがない。しようがないのでニーチェのせむし男の話をして人間の尊厳とは何かということを訴えた。そうしたら皆から総攻撃ですよ。11対1。試験担当者が10分間余分に時間をくれたのですが僕は腕まくりして喋りまくった。集団討議が終わって帰りのエレベーターに乗って、思い出したのが参考書に「集団討論ではまとめ役になれ」と書いていたこと。「あっ、だめだ」と本当に諦めたのです。当時札幌駅の近くにあった男山道場という焼き鳥屋に1人で寄ってビールを飲みながら「しょうがない。東京に帰って企業回りをするか」と気を取り直した。それで東京で企業廻りをしていたら合格通知が届いたのです。道庁は良いころだなというのが第一印象。あれだけ無茶苦茶を言っても合格させてくれるのだからと。
 
――きょうは突然の質問に丁寧にお答えいただきありがとうございました。続きを聴きたいところですが、またの機会にお伺いいたします。

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