フリーキャスター佐藤のりゆき(73)さんの現役キャスター50周年記念「トークショー&縁(えん)かいパーティー」が、2023年10月28日17時から、札幌市中央区のホテル・ラ・ジェント・ステイ札幌大通2階の「Northern Kitchen All Day Dining」で行われた。番組関係者や視聴者など約80人が出席、50周年を祝った。さくらCSホールディングス、かんぽ生命保険、鶴雅ホールディングスが協賛、UHBが協力した。
(写真は、50周年記念イベントで話す佐藤のりゆきさん)

 佐藤のりゆきさんは、冒頭、アナウンサーになろうと思った動機やHBCに入社してからの経緯などをユーモアを交えて話した。HBCを退社してフリーになることを決めたことに触れ、「12月31日に辞表を出そうとHBCに向かい、社屋を見上げた途端に足がガタガタと震えた。『俺は、この後、いったいどうなるんだろう、こんなことをして本当に良かったのか』という思いがよぎった。放送局に入ってアナウンサーになることが夢だったのに、それでは足りなくなってフリーになる夢を追いかけたが、いざその時になると、恐怖心が出てきた。退社してからも、足の震えは収まらなかったが、半年後にUHBから声を掛けてもらい、『トークDE北海道』が始まった。その番組は18年間続き、フリーになるという夢は叶った」と振り返った。

 夢を追いかけることについて、佐藤のりゆきさんは、こんなエピソードを披露した。「北大を落ちて北海学園大に入ったが、学園紛争が激しく大学封鎖が続いた。そんな時、高校時代からの夢だった局アナになりたくて、東京に出て『東京アナウンスアカデミー』に通った。夜は、焼き鳥屋でバイトをしたが、そこの親父はいつも怒って文句ばかりという人だった。アナウンスアカデミーでは、標準語のアクセントをマスターしようとするが、何回も挫折しかかった。そんなある夜、バイトを終えて暖簾をしまう時に、その親父が声を掛けてきた。『お客さんが残した一升瓶だけど、これを持って帰って今夜、一人でゆっくりと飲め。おまえにも夢があるんだろう。夢を描きながら飲む酒は、どんな安酒でもうまいぞ』と。そのひと言に泣き、持って帰って酒を飲みながら、親父の言った言葉を反芻、夢について考えた」。

「親父の言った言葉が、局アナになる夢、フリーになる夢、知事になって北海道をよくしたいという夢に向かう背中を押してくれた。あの焼き鳥屋の親父の一言があったから、今があると思う」と語った。
 
 最後に、「50年も現役で続けられるなんて、考えてもみなかった。この仕事はある意味、天職だったのかなという気もする。これから、北海道の誰かのために、どんな目立たないことでも手伝いをしたい。声を掛けてくれれば、すぐに走ります。ギャラはいりませんけど、交通費だけはくださいね」と会場を笑わせた。「これまで支えてくれた皆さんに、本当に感謝したい」と礼を述べたうえで、「以上をもちまして、私の生前葬を終わります」と笑いを誘いながら締めくくった。トークタイムは前半50分、後半25分の計75分間に及んだが、時間を感じさせない話しっぷりはこの日も健在だった。


24人の方がこの記事に「いいんでない!」と言っています。