札幌を中心に26店舗を展開している焼きたてパン専門店「ボストンベイク」(うち1店舗はラーメン店「八味一心」)の経営が、タカハシ(網走本社・網走市、札幌本社・札幌市西区)のグループ会社でアミューズメント施設を展開する北東商事(本社・札幌市手稲区)に変わった。「ボストンベイク」を経営していたボストン(同・同市北区)の代表取締役は津田彰彦氏(70)、パンに半世紀近く携わってきた職人だ。津田氏に北東商事を事業承継先とした理由などを聞いた。(写真は、「八味一心」の店頭に立つ津田彰彦氏=2021年1月9日午前)
ーーなぜ、事業承継を決断したのか。
津田 4~5年前ならボストンの取締役でもある息子(次男)に継がせたかもしれないが、その頃と経営環境が様変わりした。当社には約450人の従業員がおり、その9割はパート・アルバイト。4~5年前から人手不足も重なってパート・アルバイトの人件費は上昇、3~4割増になって利益を圧迫し始めた。それまでは赤字になったことはなかったが、数年前から大きな赤字ではないが、収支がトントンという状況になってきた。「ボストンベイク」のブランドを守っていくには、資本的に対応力のある企業が良いと考え、ある人から金融機関の紹介を受けて相談した結果、相手先を北東商事に決めた。
私の体力問題もあった。70歳になってから体力もそうだが、特に気力が続かなくなった。以前であれば、パンの構想が浮かんだら、夜中でも起きて作り出したが、最近はそれができなくなった。
ーー『ボストンベイク』がスタートした経緯は。
津田 旭川でダイイチに勤めていたが、ある取引先が札幌でパン屋を始めるというので、ダイイチを辞めてその取引先が札幌で始めた『デンマルク』に入社した。そこでパンに関わるようになった。卸販売や工場を増強するなど拡大主義になっていき、私の考え方と違うため退社。自分でパン屋をしようと考えた。いざ会社を作る時になって、『デンマルク』時代の同僚だった斎藤武吉氏らが一緒に参加することになり、私が7割を出資して、1979年に『パンの北欧』をスタートさせた。
事業は順調だったが、斎藤氏の急速な多店舗化の考えと相容れず、6年後に株を引き取ってもらい退社、85年に『ボストン』を立ち上げた。
ーー店舗名の由来は。
津田 北欧時代に知り合ったデザイナーに新会社のロゴマークなどを頼んだが、店舗名は『ボストンベイク』はどうかと提案された。その理由について聞くと、新天地を求めてアメリカに渡ったヨーロッパの人たちが最初に上陸したのがボストンだと。『北欧』から新天地を求めた当社にピッタリだということでそれに決めた。
ーー『ボストンベイク』のパンの特徴は。
津田 『ケーキはつくる、パンは育てる』と言うように、パンは農家と同じように育てる発想が必要だ。時間と温度管理がとても大切で、『ボストンベイク』は時間をかけて育てるのが特徴だが、製造法は詳しく話したくない。
ーー最近は、高級食パンなどパンブームです。
津田 他社のことはあまり言いたくない。大事なことは、パンはご飯のように毎日食べても飽きないことが求められるということ。『ボストンベイク』は毎日食べても飽きない味を追求してきた。
ーーラーメン店「八味一心」も運営しています。
津田 ラーメン店を始めて15年ほど経つが、始めたきっかけは私が子どもの頃、肉屋に嫁いだ姉がたまに作ってくれたラーメンが美味しかったから。豚骨や鳥ガラ、魚介類からスープを作っているが、5年前に比べて売り上げは2・5倍になった。最近はコロナで前年比90%くらいだが、根強い人気があると自負している。
ーー承継先の北東商事について。
津田 髙橋徹社長は熱意がありしっかりと『ボストンベイク』を受け継いでくれると確信している。私は顧問に就任したが、数ヵ月で退きたいと思っている。
ーーパンとともに歩んだ人生だと思います。寂しくないですか。
津田 企業にとって一番大切なことは、将来にわたって利益を出し続けていくことだと思っている。事業承継を決めた理由の大きな部分はそのことだ。パンに食べさせてもらった人生でありがたいことだ。36年間、代表取締役として続けてきただけに、承継先が決まったうれしさよりも寂しさの方が大きい。ほっとしたというのが正直な気持ちだ。
ーー今後はどう過ごすのか。
津田 以前は知床・羅臼に1年間で10回ほど過ごすこともあったが、ラーメン店も始めて多忙になり知床にしばらく行っていない。知り合いの漁師も何人かいるので、これからは知床に出かけてゆっくりする時間を持ちたい。