「北のミュージアム散歩」は、道新文化センターのノンフィクション作家を育成する「一道塾」(主宰・合田一道)の塾生が書いた作品を連載するものです。道内にある博物館、郷土歴史館、資料館などを回り、ミュージアムの特色を紹介しながら、ミュージアムの魅力やその存在する意味を問いかけます。
第49回は、札幌市の「山鼻屯田兵記念館」です。ぜひご愛読ください。
(合田一道)
■第49回 山鼻屯田兵記念館 ~刀から鍬へ誇り高き志~
外観
山鼻屯田兵記念館は札幌市内を走る市電内回りの行啓通沿いに建っている。3階建ての一風変わった洋館風の雰囲気を漂わせている。
一般財団法人山鼻記念碑保存資産が運営している建物で、この2階が屯田兵資料室になっている。130平米メートルほどの室内には、数々の資料が展示されていて、郷土の歴史と文化を知ることができる。
館内光景
屯田兵とは北海道開拓と防備を目的に設置された軍隊組織で、普段は開墾に精を出しながら有事の際には戦線へ出陣する任務を帯びていた。
山鼻村に屯田兵が入植したのは明治9年5月。東北を中心とした士族の志願兵が家族とともに移住し、小樽港に着船し、徒歩で現地入りした。240戸、1114人と記録に残る。前年の琴似村に次ぐもので全道2番目の屯田兵で、第1大隊第2中隊と呼ばれた。
まだ石狩(札幌)本府の経営がはかどらない時期だったので、山鼻屯田兵は札幌周辺の治安維持や災害救助、さらには憲兵としての仕事も兼ねていた。こうした兵村は他になく、特異な存在といえた。
館内光景
応募資格と年令を記載したパネルを読むと、任務内容や条例、規則の変化が理解できる。凛々しい軍服の写真と教練のイラスト図もあり、彼らの勇ましさや強い意志を感じさせる。また、山鼻屯田兵屋の模型がガラスケースに収められており、八帖の間取りに台所、居間、土間などを俯瞰して眺められる。
村の配置図や兵の名簿の他にも貴重な資料として、日清戦争の従軍記章の証書や古文書が保存されている。家族の生活を伝える展示もあり、『兵員及び家族教令』を知ると、厳しい規則の下で過酷な労働を共にあゆむ先人の苦悩が垣間みれる。
部屋の中ほどに、兵村時の暮らしを支えた生活用品が展示されている。奥には、唐箕や石臼、鍬に鋸などが陳列されており、いずれも開墾作業や養蚕に大麻栽培で活用されたものである。そして明治期の山鼻の環境を示す多数の写真が張り巡らされており、これらを見比べると、当時の光景がありありと胸に浮かんでくる。
角隅に小さな工芸品がある。冬山でドサンコが大木を運ぶ姿を型取りした模型と、その背景に雪山の景色が描かれた、優良道産天然銘木工芸品である。手の込んだ繊細な作品に魅了される。
館内光景
屯田兵制度の創設に大きな役割を果たしたのが、黒田清隆開拓次官を始めとする開拓使官僚たちであった。広大な大地の開拓は国の発展に欠かせない。同時に露国への防衛策も必要である。だが北海道の兵備は貧弱で、開拓使が引き継いだ1中隊は函館隊だけ。
一方、東北地方には多くの失業士族が溢れていた。黒田は官僚らと協議して、士族救済策でもある屯田兵制度を新政府に訴え、これが認められたのである。
刀を捨てて鍬を握る。時代の変貌する中で新たな活路を見いだした人々の決意と固い団結心が、困難な道を乗り越えて見事に花を開かせたといえる。
こうして屯田兵制度は以後、明治38年まで続けられた。北海道の警備と開拓、農業復興に尽くしたばかりでなく、この間に起こった西南戦争をはじめ日清戦争、日露戦争にも出征して、屯田兵魂を遺憾なく発揮したのだった。
記念館は、こうした血と汗で築いた先人の歩みを伝えている。そんな思いを強くした。
利用案内
所 在 地:札幌市中央区南14条西9丁目2-13
T E L:011-512-5020
資料室公開日:火曜・木曜 10:00-12:00
土曜・日曜 10:00-15:00
最 寄 駅:市電(路面電車)行啓通駅下車徒歩7分
地下鉄南北線「幌平橋駅」1番出口 徒歩15分
入 場 料:無料
付近の見どころ:
大通公園
明治4年に、北の官庁街と南の住宅・商業街とを分ける火災防線として作られた。
季節ごとに様々なイベントが行われる。市民の憩いの場所でもある。
所在地:中央区大通西1丁目~西12丁目
利用時間:24時間
TEL:011-251-0438 西7インフォメーションセンター 10:00-16:00
駐車場無し
文・写真 雪乃林太郎