「北のミュージアム散歩」は、道新文化センターのノンフィクション作家を育成する「一道塾」(主宰・合田一道)の塾生が書いた作品を連載するものです。道内にある博物館、郷土歴史館、資料館などを回り、ミュージアムの特色を紹介しながら、ミュージアムの魅力やその存在する意味を問いかけます。
第58回は、栗山町の「蔵元北の錦記念館」です。ぜひご愛読ください。
(合田一道)
■第58回 蔵元北の錦記念館
-北に錦を飾ろう、小林酒造物語-
蔵元北の錦記念館(外観)
JR栗山駅西口を出て北に向かう。其処此処に栗のイガが転がっている。やがて夕張川に沿って、レンガ造りの酒蔵が見えてくる。
小林酒造一万坪の敷地の一番手前に「蔵元北の錦記念館」がある。白い石の壁にブルーのタイルを張った建物は、小樽の銀行をモデルにして建てられた旧本社事務所である。平成7年(1995)から記念館として一般公開を始めた。入り口には酒蔵の象徴である、杉玉が掛けてある。
展示光景(酒の容器などのコレクション)
一階は試飲をしながら、好みの酒を選べる店舗になっている。数十本の酒瓶が並び、辛口の酒から甘口へと度数順に置かれている。この蔵元だけにある珍しい酒や、フランスの日本酒コンクールで最高のプラチナ賞を受けたという、外国人好みの酒も並んでいる。
展示ケースに飾られている小林家三代にわたるコレクションの数々に、圧倒される。徳利や猪口、燗付け器など、酒に関する道具を中心に、約5000点もの名だたる巨匠の作品が展示されている。柿右衛門などの文化財の焼き物も見ることができる。
二階に上がると、訪れた有名人の色紙、賞状、金杯銀杯が並んでいる。応接室、社長室には、古い革張りの応接セットが置かれ、昔の英文タイプライターもある。従業員の寝泊まりした部屋には、箪笥や布団などの生活用具も残されている。
酒作りの杜氏は半年の仕事の後、家に帰る前に盛大な慰労会が催された。朱塗りの揃いの豪華な膳が並び、杜氏がいかに手厚くもてなされていたか、その様子が偲ばれる。
戦後、この建物は占領軍総司令部に接収されて、夕張地区の裁判所として使われた。
小林酒造の酒蔵(外観)
小林酒造は、明治11年(1878)小林伝四郎が新潟から北海道へやってきて、札幌で酒造業を起こしたことに始まる。その後、広い土地と夕張川の豊かな水を求めて、明治33年(1900)栗山に酒造りを移した。銘柄は、「北に錦を飾ろう」との思いをこめて「北の錦」と名付けられた。
隣町の夕張炭鉱では、酒は飛ぶように売れた。炭鉱で働く鉱員たちは命がけの仕事が明けた休みの日には、浴びるように酒を飲んだ。酒は遠く樺太や満州にまで販路を拡大し、二代目小林米三郎の時代には全盛期を迎えた。参議院議員にも当選し、酒作りは栗山の重要な産業となり、町の発展を支えた。
小林酒造の13の酒蔵は、有形文化財に指定されている。酒作り以外の蔵は、展示場やギャラリーとして使われ、映画の舞台ともなってきた。酒と手打ち蕎麦を食べるところもある。レンガ造りの蔵を眺めながらの散策は、レトロな気持ちに浸らせてくれる。
小林家の見学コース(家具調度品)
明治30年(1897)に建てられた蔵元の生家には、23もの部屋があり、文化財にも指定されている。酒造りは男の仕事であった。女は家を守る裏方であり「守りびと」と言われてきた。90才を超えた三代目米三郎の妻榮子は、毎日100枚の雑巾を持ち掃除を続けた。母が守った家を、平成26年(2014)、長女と嫁たちは、小林酒造の新しい事業に立ち上げた。一般に公開して、見学コースを設けた。堅牢に建てられた家は築100年以上を経ても、どこにも歪みはなかった。贅を尽くした部屋飾りや家具調度品を観るツアーは、酒蔵の女たちの努力で花開き、人気がある。
利用案内
所 在 地:〒069-1521 夕張郡栗山町錦3丁目109番地
電 話 番 号:0123-76-9292
開 館 時 間:10時―17時 年末年始は休館
ア ク セ ス:JR栗山駅より徒歩15分 タクシーで5分
入 館 料:記念館は無料 小林家見学は事前予約が必要、茶菓つき1000円
付近の見どころ:
栗山町で一番初めに開拓された角田地区には、開拓の歴史がわかる「栗山町開拓記念館」と、仙台藩角田領の指導者、泉鱗太郎の茅葺屋根の住宅が「泉記念館」となっている。
文・写真 山崎由紀子