「北のミュージアム散歩」は、道新文化センターのノンフィクション作家を育成する「一道塾」(主宰・合田一道)の塾生が書いた作品を連載するものです。道内にある博物館、郷土歴史館、資料館などを回り、ミュージアムの特色を紹介しながら、ミュージアムの魅力やその存在する意味を問いかけます。
第31回は、苫前町の「苫前町郷土資料館」です。ぜひご愛読ください。
(合田一道)
■第31回 「苫前町郷土資料館」~史上最悪の人食いヒグマ事件の現場~
苫前町郷土資料館の外観
夏に、苫前町郷土資料館を訪れた。この町は、北海道留萌地方の日本海を望む夕日が美しい場所にある。建物は、1928年(昭和3年)から1984年(昭和59年)まで町役場であったが、役場の新築移転と合わせ、再利用として郷土資料館になった。
この地域は、幕末から1868年(明治元年)まで、ロシア警備の目的で、秋田藩や庄内藩の支配地となり、陣屋が建てられた。
町の発展のきっかけは、明治30年頃が最盛期だったニシン漁である。苫前だけで3万石(約22500トン)以上になり、結構な収益をもたらした。ニシンは肥料として加工され、本州に送られる。この頃の漁場を、詳細なジオラマで紹介している。
しかし、この町の名を全国的に轟かせたのは、1915年(大正4年)12月9日から12月14日にかけ起きた「苫前三毛別ヒグマ事件」であろう。館内の大半は、この事件関連の展示で占められている。
三毛別は、沿岸から30kmほどの山間部にある。当時、ニシン肥料を製造するのに薪材の需要が増し、人里離れた山林でも、新たに開拓民が移住して来た。毎日食べるのに精一杯で、全員が馬小屋同然の堀立小屋に住んでいた。
冬眠に失敗した「穴持たず」の一頭のヒグマが、空腹から凶暴性を誘い、この地区の太田・明景両家に襲いかかったのだ。
死傷者数が最悪になったのは、襲来時に、男たちは仕事で家を留守にして、老人と女子供ばかりであった事。今まで三毛別に熊被害は無く、ヒグマ対策の考えまで及ばなく、住民の銃器の管理がずさんであったのも挙げられる。
さらにそれ以外に、このヒグマが、過去に天塩地方で飯場の炊事婦を殺害し味を覚え、同じ婦女を執拗に攻撃したことも考えられた。
熊の味覚への執着は、異様なほど恐ろしい。妊婦の襲撃時も、胎児は残し、婦人だけに興味を示し、骨まで飽食したのだ。最初に太田家を襲った後の被害者らの通夜が行われた晩に、熊は、再度太田家を襲撃してきた。まさにその時の家屋内の実物大模型がある。人間と熊が、まるで生きているような生々しさで、誰でも立ち止まってしまうだろう。
このヒグマは、最期は殺された。金毛交えた8歳くらいの雄、身の丈2.7m、体重340kgの巨熊だった。取り逃がした場合は、第七師団の要請もあったらしい(実際、兵隊30人が投入されたとの記録もあり)。喰われた被害者の仇討ちと称し、村人達で解体し煮て食べてしまったと伝えられている。
結局、10人の婦女子が殺傷(7人が殺害、3人が重傷)され、熊害として世界史上でも最悪の事件となった。この熊を最期に仕留めた「伝説のマタギ」山本兵吉や、事件を題材とした小説と映画などの説明も加えられていた。
昭和30年代に、管内の営林局職員(木村盛武)が、生存者からナマの証言を聞いて調査をした執筆本が、館内限定で売られている。別のコーナーでは、ハンターらが羽幌の山中で殺した別の巨熊の剥製が見られる。北海太郎と呼ばれ、体長は2.5m・体重は500kgの18才の雄だ。討ち取った昭和55年の当時は、日本史上最大だった。
恐る恐る三毛別熊事件復元地に向かった。三毛別川に沿って、「ベア・ロード」との名前の道道1049号線を南下する。道路沿いに立つ、苫前町のイメージキャラクターの可愛い親子熊の看板が、「あと何キロ先」と教えてくれる。思わず「ゆるい」気分になってしまうが、事件時の村の討伐隊の発砲玉が、熊の右大腿部を貫通し「手負い状態」とさせた射止橋を越えると、周りの雰囲気が変わってきた。
舗装路終点に着くと、いきなり凶暴な熊の看板が「現地まで約200m」と示し、一気に緊張が走る。鬱蒼と茂る森林の砂利道を進むと目的地だ。郷土資料館から車で約40分程。
住民ボランティアにより作られた家屋と、襲うヒグマがセットされ、特に巨熊はひときわ異彩を放つ。昼間でも薄暗く携帯も通じない。今でも熊が出てきそうな恐怖感が一面に漂っていた。
太田家の再度襲撃時を再現。この時は、熊は退散した。
樹林に覆われた復元現地。家屋への侵入を試みる熊が見える。
利用案内
開館期間:5月1日から10月31日まで(月曜日は休館日)
開館時間:午前10時から午後5時まで
観覧料金:高校生以上の一般人は300円
事件復元現地:開館期間:上記と同じ。
開館時間は無いが、夜間の見学は危険。
無料。簡便な駐車場はある。トイレは無い。
付近の見どころ:
【苫前グリーンヒルウインドパーク】
1999年(平成11年)に、苫前町営牧場に建てられた国内初の集合型風力発電所である。高さ45mのタービン20基が回っている。欅坂46の曲「世界には愛しかない」のロケ地となった。
文・写真 河原崎 暢