「北のミュージアム散歩」は、道新文化センターのノンフィクション作家を育成する「一道塾」(主宰・合田一道)の塾生が書いた作品を連載するものです。道内にある博物館、郷土歴史館、資料館などを回り、ミュージアムの特色を紹介しながら、ミュージアムの魅力やその存在する意味を問いかけます。
第25回は、音威子府村の「エコミュージアムおさしまセンター」です。ぜひご愛読ください。
(合田一道)
■第25回 エコミュージアムおさしまセンター砂澤ビッキアトリエ3モア
―音威子府の風と樹々に魅せられて―
エコミュージアムおさしま外観
旭川から北へ約123kmの地点に、北海道で一番人口が少ない小さい村音威子府村がある。JR音威子府駅から国道40号線を約8km稚内方面に進むと筬島大橋のたもとに、砂澤ビッキ記念館の大きな看板が見えてくる。右折して橋を渡り、天塩川と宗谷本線に挟まれた筬島地区に入るとすぐ「エコミュージアムおさしまセンター」に到着する。
2002年11月に完成したこの美術館は、128坪の平屋建て。世界的に著名な彫刻家砂澤ビッキのアトリエを改修し再現したもので、生涯で作り上げた作品1000点余の内約200点を展示している。館内はビッキさんの作品の魅力を存分に感じ取れるよう、様々な工夫が凝らされている。
遠く北大中川研究林を臨み、手前には天塩川がゆったりと流れ、そば畑が広がるこの地に、インスピレーションを感じたビッキさんは1978年に移住を決めた。
村の人々から、豊富な木材の供給など厚い支援を受け、廃校になり取り壊すばかりの小学校校舎をアトリエ兼住居として使い、1989年に亡くなるまでの約11年間、ダイナミックな作品を数多く作り上げた。
入り口で靴を脱ぎ建物の中へと進むと、壁や床はすべて木造。受付の小さな机と椅子は子供たちが使用していたものだろう。壁に貼られた名札、さりげなくかけられた箒やちりとりが小学校の面影を残している。
順路の一番目は「風の回廊」。廊下の左手には作品の中でも珍しいデッサンが長さ21mの絵巻状で展示されている。右手は木面シリーズが、窓ガラス越しに見える畑や林を背景に置かれている。廊下の突き当りは「トーテムポールの木霊」。1980年に音威子府駅前に建立された高さ15mの「オトイネップタワー」が年月にさらされ朽ち、静かに横たわっている。木の桟から漏れ入る自然光が、トーテムポールの表情を移ろわせる。ビッキさん独自の自然観に従い修復はせず、更に時を経て自然に還るのを待つという。
次の小部屋は「ビッキからのメッセージ」。生前のポートレートとデスマスク、そして「風よ」の詩の一節が浮かび上がる。詩の全文は隣の「アトリエ午前3時の部屋」入り口に続く。午前3時、旭川発稚内行きの最終列車が筬島駅を通過する。その音を合図にビッキさんの創作意欲が沸き上がり、制作が始まったという。室内中央の「樹華」は森の空間を表現し、「午前三時の玩具」「ANIMAL」が出来上がったばかりのように無造作に置かれている。壁一面に整然と並ぶ彫刻道具。鋸、金槌、使い込まれた外国製のチェンソーは全身全霊をかけた作業の激しさを物語る。
「樹木との対話」の入り口には懐中電灯が置かれている。全く光の無い、真っ暗な空間に、恐るおそる進み入り、目が慣れてくるまでしばし佇む。やがて足元に水面が揺れ、ぼおっと「TOH」が浮かび上がる。1984年カナダから帰国後に制作された新境地ともいえる作品である。
全ての展示室を回り、最後にたどり着くカフェスペースに驚かされる。お洒落な一流のバーの雰囲気そのもの!1997年まで札幌で営業していたスタンドバー「いないいないばぁ」の店舗内装を、ビッキさんが手がけた縁で、移設された。お酒はないがコーヒーで一服。
週末はおといねっぷ美術工芸高校の生徒達が、ボランティアで館内ガイドやグッズ販売を行っている。この地で芸術と向き合うために全国から集まった若者たちだ。
ビッキさんの魂が若きクリエーターに受け継がれ、音威子府の風に抱かれて眠る。
午前3時のアトリエ内部
朽ち往くトーテムポール
利用案内
所 在 地:音威子府村字物満内55(地域名 筬島)
連 絡 先:01656-5–3980
交通機関:JR筬島駅 徒歩1分
利用料金:高校生以上200円
開館時間:9:30~16:30(開館期間4月26日~10月31日 冬期間閉鎖)
定 休 日:月曜日(祝日の場合は火曜日)
付近の見どころ:北海道命名の地
音威子府駅から約8キロの地点。国道40号線沿いの案内看板を右折して数百m進む。熊に注意しながら徒歩で天塩川の河原へ。2011年再建された高橋はるみ知事の揮毫による碑と説明看板が立てられている。幕末の探検家松浦武四郎が北海道と命名した由来が記されている。
文・写真 渋谷 真希