「北のミュージアム散歩」は、道新文化センターのノンフィクション作家を育成する「一道塾」(主宰・合田一道)の塾生が書いた作品を連載するものです。道内にある博物館、郷土歴史館、資料館などを回り、ミュージアムの特色を紹介しながら、ミュージアムの魅力やその存在する意味を問いかけます。
第3回は、札幌市東区の「札幌村郷土記念館」です。ぜひご愛読ください。
(合田一道)
■第3回 「札幌村郷土記念館」 ―子孫が残した札幌村開拓の歴史―
札幌村郷土記念館(札幌市東区北13条東16丁目2-6)
札幌市東区の地下鉄東豊線の沿線は、かつて、「札幌村」と呼ばれていた。そこは開拓使が置かれる以前に、大友亀太郎によって切り開かれたところである。
亀太郎は、天保5年(1834)相模国西大友村(今の神奈川県小田原市)の農家に生まれた。農作業の傍ら、読み書きソロバンを独学し、22歳の時、二宮尊徳の「報徳思想」に感銘を受け弟子となり、土木測量技術や村作りの方法を学んだ。慶応2年(1866)幕府の命に従い、石狩原野に入り開拓に取り組んだ。まず元村に御手作場(模範農場)をつくり、用水路を開削した。原野を流れる豊平川支流から元村に至る4キロの堀は、用水排水路、飲料水、物資の運搬などに利用されて、元村一帯の開拓に重要な役割を果たし、大友堀と呼ばれた。明治2年(1869)に開拓使による札幌本府の開拓が始まったとき、大友堀は札幌開拓の基点となり、のちに創成川と名付けられた。
亀太郎が住んでいた役宅跡に建てられたのが、札幌村郷土記念館である。ヤチダモの大木やオンコの老木に守られるかのような、2階建ての記念館の前庭には亀太郎の座像や石碑、玉葱栽培の記念碑が建つ。
記念館の1階には、開拓に使われた農機具や生活用具が展示されている。馬は家族の一員であり、馬が無ければ開拓はできなかった。開拓の苦労を共にした、北海道特有の脚が短く馬力のある馬、ドサンコの剥製が馬車を曳いている。冬期間の雪上の運搬に使った、ロシアの橇を真似して作った馬橇も並ぶ。
2階にあがると開拓草創期のコーナーとして、亀太郎の戸籍や履歴綴りなどの歴史資料が展示されている。「人の一生は、金銀財宝に富めるにあらず、積善の道に如かず」を信念とした亀太郎の思想は住民に受け継がれ、子弟の教育にも早くから取り組んだ。明治、大正、昭和の時代に使った教科書が揃って残っている。
この記念館は昭和52年(1977)に郷土の開拓の歴史を保存しようと、地元住民らによって建てられた。先祖の開拓の苦労や厳しさを後世に伝えていこうという、子孫達の心意気から生まれた。各家庭にあった開拓当時の資料や道具類を持ち寄って展示した。そこには、開拓の始祖亀太郎の積善の思想が、継承実践されている。
「札幌村」は昭和30年(1955)に「札幌市」に合併され、昭和62年(1987)、記念館と敷地は、札幌市の有形文化財と史跡に指定された。
館内の展示光景
利用案内
所 在 地:〒065-0013 札幌市東区北13条東16丁目2-6 電話:(011)782―2294
開館日時:午前10時~午後4時
入 館 料:無料
休 館 日:毎週月曜日と祝日の翌日 年末年始
交通機関:地下鉄東豊線環状通東駅下車4番出口から徒歩3分
付近のみどころ
「本龍寺」(北14東15)の妙見堂には大友亀太郎が開拓判官島義勇から授かった、妙見菩薩像が祀られている。7月15日には公開される。「大友公園」(北13東16)は大友堀の終着地である伏古川注流口を整備して、大友堀の流路が示されている。「大覚寺」(北10東11)には、禅宗様式の山門と五百羅漢堂がある。盆と彼岸には公開される。
文・写真 山崎 由紀子