石屋製菓(本社・札幌市西区)は15日、札幌市中央区の京王プラザホテル札幌2階エミネンスホールで9月26日に77歳で死去した石水勲名誉会長の「お別れの会」を行った。取引先関係者など約1500人が会葬に訪れ、祭壇に向かって手を合わせ故人の冥福を祈った。(写真は、菊の生花で利尻富士を再現した、祭壇に飾られた遺影に手を合わせるきのとやの長沼昭夫会長夫妻)
祭壇は、菊の生花を約5000本使用して、「白い恋人」のパッケージにも採用されている利尻富士を様々な色を使って再現、雪の結晶をモチーフにした「白い恋人」の袋を模した花のモニュメントもアクセントとして添えられた。祭壇中央には、遺影と共に『あとは 頼んだぞ、石水勲』と書かれたパネルが飾られた。このフレーズは、社員たちが考えたもの。「今、石水名誉会長なら、どんな言葉を発するだろうかと考えた結果、この言葉が一番近いだろうと、認(したた)めることにしました」(広報)。
会場には、石水勲さんの足跡を辿るパネル写真や愛用の品、石屋製菓の歴代銘菓なども展示された。札幌工業高校野球部時代に準々決勝進出を決めた際に、石水さんがホームインした写真が載った記事や東洋大学ボクシング部時代の試合記事の切り抜きなども紹介された。会場には、石原裕次郎さんとの記念写真も掲げられ、「俺の葬式には、裕次郎をかけてくれ」と話したエピソードなども披露された。
(写真は、石水勲さんの足跡を辿るパネル展示に見入る会葬者)
(写真は、石屋製菓の歴代銘菓が展示されたコーナー)
会葬に訪れた橋本昭夫弁護士は、30年以上にわたって同社の顧問弁護士を務め石水さんとも交流があったが、「私の方が一つ上なのに、彼が早く逝ってしまったのは残念。狸小路で焼鳥をつまみながら、語り合ったことが懐かしい。いつでも夢を語る人だった」と故人を偲んだ。
また、賞味期限改ざん問題で社長を引責辞任、代わって社長に就いた北洋銀行出身の島田俊平氏は、「男気があって、ユーモアがあって、いたずら好きな人だった。ずっとオーナーだったのに、私が社長に就任してからも、経営には口を挟まれなかった。伸び伸びと経営をやらせてもらったのはありがたかった」と述べた上で、2013年3月に竣工した「ISHIYA札幌大通本店」が入る札幌大通西4ビルに触れ、「石水さんは、『コンパスと定規でビルを造るようなことをせず、フリーハンドで造ってほしい』といつも言っていたのが思い出されます。この石造りのビルには、入り口に金色の装飾がありますが、石に金色はぴったり合います。石水さんのセンスには驚きました」と話していた。