JR北海道の中島尚俊社長(64)が12日の朝から行方不明になっている。同社は5月27日のJR石勝線占冠村トンネル内での特急脱線火災によって国土交通省から事業改善命令を受け、今月16日に改善措置報告書を同省に提出する予定だった。提出直前の失踪にはどんな背景があるのか。(写真は、中島尚俊社長)
中島社長は、石勝線事故が同社発足以来で最悪の事故という認識を持ち、先頭に立って再発防止に向け取り組んできた。この事故で道警から業務上過失致傷の容疑で本社の家宅捜索を受けるなど、こうした事故が引き起こされた背景に「会社の風土がある」と中島社長は強く認識していた。
その後も、走行中の特急から白煙が上がったり、信号が変わらないトラブル、運転士の居眠りなど不祥事が続き、中島社長の心労と疲労は蓄積されていったものと思われる。
中島社長が「会社の風土に問題がある」と指摘したのは同社経営側と労働組合との関係から派生してきた問題がひとつ。人員削減から来る3・6協定違反は恒常化していたという指摘もあり、その数は三桁にもなるとさえ言われている。また、事業のアウトソーシングにより国鉄時代の一家意識は消え、「モザイク模様のJR北海道の芯が見えない」という声も出ていた。
中島社長を知るJR北海道OBは、「2~3日前に会った人は『明るく振る舞っていた』と言っていたし、様々なメディアからきつく書かれていることにも『いいんだ』と気にしている風はなかった」と言う。
そのOBは、今の役員体制に憤懣やるかたなしという口調で言い放つ。「外から見ていても中島社長には片腕になる役員がいなかった。何で社長を補佐する役員が出てこないのか。私は今のスタッフではダメだと思う」
中島社長は、1947年旭川市生まれ。東大経済学部卒、69年国鉄入社。87年に民営化でJR北海道へ移り、鉄道事業本部営業部長、旅行業本部長を経て2003年に専務・鉄道事業本部営業推進本部長、07年6月に社長に就任した。
社長就任時は、JR発足20年の節目の年で、中島社長はこれまでの経営環境とは違ったものになると考え、「新時代の開拓」をスローガンに掲げていた。一斉に迎える車両更新や団塊世代の定年で2000人以上の大量退職が出てくるなど一番難しい時期の舵取りに加えて、相次ぐ事故やトラブルに緊張は極限に達していたことは想像に難くない。
中島社長の実父も元国鉄マン。旭川鉄道管理局で列車ダイヤを組むスジ屋と呼ばれる仕事をしていた。親子二代の鉄道マンが鉄道に掛けた夢と現実の落差は如何ばかりだったのか。
北海道を代表する企業であるJR北海道の社長失踪、北海道電力のやらせ、鉢呂吉雄衆議の経済産業大臣辞任――北海道は踏ん張らなくてはならない。