食品スーパーの共同仕入れ会社、北海道シジシーが創業30年を迎えた。9月16日には札幌パークホテルで関係者や来賓など約600人が参加して、盛大に30周年を祝った。
北海道シジシーの本部にあたるシジシージャパンは、中小スーパーが協力して助け合いながら前進していこうと高度成長期のオイルショック時、昭和48年に東京のスーパー三徳が中心になって設立された。
CGCは、コオペレーティブ・グローサリー・チェーンの略で「共同で食料品を扱うチェーン」という意味。助け合い、互助の精神が成り立ちの原点で、宗教的バックボーンがあったからこそ全国各地にその精神が息づいていったものと見られる。
北海道シジシーは、本部の設立から7年後の昭和55年5月に道内中小スーパー13社で発足。設立の中心になったのは当時の大丸スーパー専務で現在ラルズ会長・アークス社長の横山清氏と当時山の手ストアーで現在の北雄ラッキー会長、桐生泰夫氏の2人だった。
北海道シジシー社長を務める横山氏は、30年を振り返ってこう挨拶した。
「当時のシジシージャパン堀内寛二社長に報告に行くため、桐生さんと2人で東京に出かけた日は風の強い日だった。一泊してホテルからいざ出かけようとしたら、その日の日経新聞1面トップにシジシージャパンがダイエーと提携とでかでかと載っていたんですよ。大手に対抗して中小が力を合わせて頑張ろうという組織なのに当時の流通トップ、ダイエーと手を組むというのはどういうことなんだ、趣旨が違うと思ったことを鮮明に記憶しています」
もっとも、その提携はシジシージャパンがダイエーを利用する側面が強く、呑み込まれるようなものではなかった。口を開けて餌を待っているのでなく、むしろ小が大を利用するという小は小なりの自助努力の現われの一つだった。結果、ダイエーは潰れ、シジシーは今や4兆円を超える全国流通組織として生き残っていることからも抑制の効いた成長策は時の経過とともに堅い岩盤を形成してきたようだ。
シジシーは、中小スーパーが商品仕入れや商品開発を目的に作った協同組合という色合いが強い。北海道の流通は現在、アークスVSコープさっぽろのつばぜり合いが展開されているが、横山氏はコープさっぽろという協同組合組織にある種のシンパシーを感じていることは間違いない。
そのシンパシーが、友好に向うのか対立に向うのかは両者の力関係と将来像にもよるが、根底には繋がるものがあるように思える。
30周年記念式典では、まるでコープさっぽろに対抗するかのように社会貢献を強く打ち出していた。道への電気自動車寄贈(500万円相当)、札幌市のサポートほっと基金へ子育て支援のために500万円の寄附、北大フロンティア基金に500万円の寄附、道立総合研究機構に道産キノコの加工技術開発の支援に500万円の寄附など総額2000万円を贈呈したのも、多分にコープを意識したものと見られる。
そのほかにも「みどりとこころの基金」の活動として支笏湖近くに札幌ドーム5つ分の敷地を使った植林事業なども行っていることが紹介された。
道内流通を分断するアークスとコープは、このまま対決を続けるのか、あるいは少子高齢化や人口減を見据えて手を携えるのか。ともすれば、アークスVSコープという対立軸で捉えがちだが、その中間に位置するのが、北海道シジシーという組織かも知れない。北海道シジシーの協同組合的機能は、アークスがコープとの連携を視野に入れた場合の“特使”的な存在に化ける可能性がある。その日は意外に近い予感がする。
(写真は、北海道シジシー創業30周年記念式典で挨拶する横山清社長)