「この日の閉店で流す館内BGMは蛍の光ではなくロッキーのテーマ曲にしたんだ。これからが再出発。それに相応しい曲を私自身が選んだ」――アークス(本社・札幌市)の横山清社長(79)は8日夕、札幌の狸小路商店街にあるラルズ札幌店に顔を見せ、同社のM&A(企業の買収・合併)の嚆矢になった同店の完全閉店を看取った。前身の金市舘時代から44年、ラルズが引き継いでから25年、狸小路の一隅を灯し続けた館がその役割を終えた。(写真左は、ラルズ札幌店の完全閉店で集まった市民らに一礼する横山清社長=右端と納野朝男店長=左端ら。写真右はシャッターが下りるまで深々とお辞儀をする従業員たち)
衣料品やバッグ、住関連商品のラルズプラザ札幌店と食品のラルズマート札幌店は、アークスの原点となったマザー店舗。横山氏がM&Aを繰り返して現在のアークスを形作った原体験の店舗でもある。アークス子会社のラルズは、89年3月、金市舘の販売子会社だった丸友産業と合併して誕生した。その6年前、ラルズ前身の大丸スーパーが金市舘札幌店地下に食品スーパーを出店したのが合併の契機になった。
(8日の最終日夕に最後の店内巡回する横山清社長)
「地下に入ったけど売上げは良くなかった。初代店長の守屋(澄夫氏=現ラルズ社長・66)は成績が上がらず体調を崩すほどだった。金市舘は年末年始が休みだったが食品の書き入れ時だし、地下だけ開けてお客を入れたりしてようやく1年半で大丸スーパー一番の店になったのでほっとしたよ」(横山社長)
そのころは、本州大手流通が札幌進出を加速しており金市舘にも買収話が浮上していた。相手は当時のジャスコ(現イオン)。しかしジャスコは金市舘の札幌の店舗だけを狙っていたためご破算になる。地下の店が黒字化したことや金市舘の社内事情も勘案、横山社長(当時専務)は金市舘に合併を提案、ただし同社を建物所有と店舗運営に分け店舗運営の丸友産業と合併する案を提示した。
こうして89年3月、大丸スーパーと丸友産業が合併、ラルズが誕生した。「最初、新会社名をエブリディロープライスから取った『エルディ』にしようと決めていたが、そのころライオンのトイレタリー商品でエルディという名前がテレビで盛んに宣伝されるようになったため急遽、二番目に考えていた『ラルズ』(ライジング・アフルーエント・ライフ・サービスの頭文字を取ったもの)にした」
そんなエピソードに事欠かない多難な船出だったが、金市舘は当時、年間210億円の売上げがあり、大丸スーパーは100億円ほど。小が大を吞む合併として注目された。
「最初は大変だった」と繰り返す横山氏の頭に残っているのは、合併翌月の4月に導入された3%の消費税だ。「金市舘では毎年4月1日から馬鹿値市という特売をしていたが、ラルズになってからも引き継ぐことを決め合併後の慌ただしい中で始めた。ところが消費税3%の導入で馬鹿値市の売上げを直撃、前年比6割も落ち込んだ。消費税の影響はこれほど大きなものだった。この時の経験が私の頭にはこびりついている。今でも、あの時のことを思い出すとぞっとする」
それから四半世紀、大丸スーパーからラルズ、そしてアークスへと進化を遂げた同社は、M&Aのマザー店舗を建物老朽化や耐震問題から完全閉店することを決めた。
(お客を見送る横山清社長)
金市舘時代から親しまれた店舗の閉鎖を惜しむ客らで8日の最終営業日は普段の日曜日以上に混みあった。30代の買い物客は「東京の大学に行くとき祖母が馴染みだったこの店で布団一式を買ってくれたのを思い出します。その祖母も既に他界しましたが、祖母の思い出が詰まっている店の最後を見届けたいと思い来ました」と語った。
(集まった市民からは拍手が沸き起こった)
閉店時間は午後6時だったが、最後の客が店を出た6時25分、横山社長と納野朝男店長が深々と頭を下げ店内で従業員らが並ぶ中をシャッターがゆっくりと下がった。集まった市民らからは自然と拍手が沸き起こっていた。
「(狸小路から出て行くのは)終わりではなく総攻撃の始まりなんだ」――横山社長は自らに言い聞かせるように呟いた。