コンサドーレ札幌で活躍した曽田雄志氏(36)が、第2の人生を自力で切り開こうとしている。 プロスポーツ選手として体得してきた生き方の哲学を根幹に据え、スポーツを通じたコミュニティづくり、教育に活路を見出そうとする地道な取り組みだ。もちろんビジネスの視点も忘れてはいない。一流のサッカー選手が引退後も一流になれるかどうか、曽田氏がスタートさせた第2の人生は人間力そのものが試されている。曽田氏が4月23日にSATOグループオープンセミナーで講演した内容を再構成、3回シリーズで紹介する最終回。(写真は、講演する曽田氏)
曽田氏は選手時代の途中から引退後を意識するようになる。サッカー選手より楽しくて収入が多い仕事はないかと漠然と考えていた。しかし、現実的には収入面では厳しい。自分にできることは何かを考える中で、自分らしくクラブに貢献できるGM(ゼネラルマネジャー)が良いのではと思うようになる。選手のことも分かって経営のことも理解するGMを目指そうと、引退する2年前から英語や経営の勉強を始めるようになった。
引退後も勉強を続け、1年後には英マンチェスター大学の適性試験にパス。英語をしっかり身につけようと留学する気持ちでいたところに、東日本大震災が起きた。夫人は仙台出身。留学などしている場合ではないと翌月には被災地支援団体のEN(縁)ブロジェクトを立ち上げた。この団体はスポーツに関わる北海道の人たちで震災ボランティアをしようというもの。トップアスリートたちは意外に横の繋がりがない。「アストリートたちを横に繋げていけば面白いのでは」と、アスリートたちに電話をしたところ19人が賛同してくれ組織が生まれた。
メーカーの協力を得て1000足のシューズを寄付したり、キーホルダー造りなどで被災者の雇用を生み出すことも行った。
曽田氏は、「この時まで自分は本能的に生きていたように思う。でも、組織を創ってからはアスリートと関わって何かができるのではないか考えるようになった」と振り返る。ENプロジェクトを通じて文科省との接点ができ、女子バレーボール監督で知られた柳本晶一氏や陸上の朝原宣治氏らの一般社団法人アスリートネットワークも知ることになる。
様々な関わりの中からアスリートたちに役立つことをやろうと、2013年10月に一般社団法人アスリートバンク北海道を設立して代表理事に就任した。一流のアスリートであっても引退後も一流であり続けられる人は限られている。アストリートたちのセカンドキャリア創出の手伝いをすることを目的にした。しかし、アスリートたちに話しても「お金はどこから出るのか」など積極的な賛同が得られている訳ではない。
それでも曽田氏は、「アスリートたちは潜在能力を持っていても自分で気づいていなかったり使っていないことが多い。私はそれを紐解いていくことを仕事にしようと決めた」と言う。
今年に入り札幌市内小中学校など13校に体育の授業や部活動に向けて無償でアスリートを定期的に派遣することも始めた。11種目のアスリートたちが登録、地域での有料スポーツ教室、運動会に向けた親子スプリント教室なども始めている。「スポーツは教育や地域の力を活かすための商品になる可能性がある」と曽田氏は強調する。アスリートたちが子供たちや障害者たちにも十分指導できるように指導要綱も曽田氏は作り始めている。
札幌で始まった曽田氏の挑戦は、新たなスポーツビジネスの在り方を発信する取り組みだ。「教育は目に見えない商品。これからチャンスが来るのではないか」。Jリーガーから自力でフルキャリアチェンジを実現しようとする曽田氏の第二の人生が始まっている。