今年もゲレンデに障がい者たちのシュプールが描かれた。北海道ハンディキャップスキー協会(小林俊勝会長)と札幌大通ライオンズクラブ(佐々木俊幸会長)は22日、札幌テイネ聖火台オーシャンコースで第35回全道ハンディキャップスキー大会を開催した。この大会は、ソチ冬季パラリンピック金メダルを獲得した狩野亮選手も過去6回参加、実力をつけていったことでも知られる。障がい者スキーの登竜門とされるこの大会、この日は未来のメダリストたちが日ごろの練習成果を競い合い、スキーができる喜びを体いっぱいに表現していた。(写真上段はゲレンデで滑走する参加選手。写真下段左は表彰式、右は『シーハイル』の三唱)
障がい者の全道スキー大会は、かつて3大会が開催されていた。道、道ハンディキャップ協会、それに札幌大通ライオンズクラブが主催するそれぞれの大会で、障がい者スキーの普及に大きく貢献していた。しかし、道の財政難などによって開催費用が重荷になって道主催の大会は中止に追い込まれ、道ハンディキャップ協会も2005年から札幌大通ライオンズクラブとの共催に移行、今ではこの大会が障がい者が集う道内唯一の場になっている。大会運営では10年前から札幌稲雲高校の生徒がボランティアで参加しており、今年も64人が裏方役を務めた。
今大会は全道ハンディキャップスキー大会としては35回目の節目となったため、幼児や小学校低学年の健常者クラスも設け、障がい者と一緒になってスキーの楽しみを分かち合えるようにした。
参加したのは、身体障がい者や知的障がい者など97人。500mのAクラス、300mのBクラス、80mのCクラスに分かれてタイムを競うレースと事前に申告したタイムと実際に滑ったタイム差を競う申告レースが行われた。
レースが始まったころに雪が降りはじめ、途中からはガスがコースを覆うなどコンディションは良くなかったものの、1本スキーやチェアスキー、目の見えない障がい者にはガイドが付くなどして斜面を次々に滑り降りていった。
クラブハウスで行われた表彰式では、各レース上位3位までにメダルが授与され障がい者たちの笑顔が会場いっぱいに広がった。閉会式の最後を飾ったのは、『シーハイル』(ドイツ語でスキー万歳の意)三唱。音頭を取ったのは、自身も障がい者としてこの大会に何度も参加、インスブルックで1984年に開催された身体障がい者冬季五輪に日本代表として参加して入賞した経験もある同ライオンズクラブ会員の野呂幸司氏(ディール企画社長)。こぶしを突き上げて叫ぶと障がい者たちも後に続き、会場内には『シーハイル』の声が響き渡った。
ただ、この大会にも高齢化の波は押し寄せている。スキー人口の減少とともに障がい者のスキー人口も減っており、1本スキーのクラスでは5人のうち3人が60歳代。他の2人は59歳と45歳でいずれも中高年。「若い人たちにも是非参加してもらいたい」と1本スキーに出場した片山仁北見ハンディキャップスキー協会会長は言う。今後この大会が継続して開催できるかどうかは、若い人たちを含めた裾野の拡大にかかっているようだ。