アークスは10月28日、札幌市豊平区に「スーパーアークス月寒東店」をオープンした。約500m離れた場所にあるフレッティ月寒東店を閉鎖して移転新築したもので約3倍の店舗面積になった。札幌市内のスーパーアークスは、菊水店、北24条店に続いて3店目。
この日は午前8時30分からオープンセレモニーが行われ、アークスの横山清社長、アークス子会社の斉藤弘社長のほか地元町内会長や一番乗りをしたお客らがテープカット。9時開店を予定していたものの肌寒い天候だったため開店時刻を繰り上げて8時40分には店内にお客を誘導した。


横山社長は、「27年前にフレッティ月寒東店をオープンさせたときのことを考えると感無量」と語った。
当時、アークスの前身である大丸スーパーの社長は衣料卸小売の大丸中山商事を中核とするライフグループ大丸社長の中山大五郎さんだった。中山さんは狸小路商店街の理事長や日専連札幌会理事長を務めるなど中小小売商店の立場を代弁する立場。
横山さんは大丸スーパーの専務として実質的なスーパー経営の責任者だったが、中山さんがスーパーの出店を規制する札幌市商店街振興組合連合会(札幌市商連)理事長も務めていたため、フレッティ月寒東店の出店で苦い経験をする。
「当時、札幌市の独自の条例として店舗面積500㎡以下のスーパーしか認めないという規制があったんです。フレッティ月寒東店はこの条例に引っかかっていたので届出で地元商店街と揉めて苦労しました。ところがこの500㎡条例はその後撤廃され、幻の市条例となりました。フレッティ月寒東店は後にも先にもこの幻の市条例の届出第一号だったんです」(横山さん)
それから27年、3倍の面積で移転新築、しかもこれまでのリースバックと違って自社物件。横山さんの言う“感無量”という言葉には当時の苦い経験からようやく開放された安堵感のような響きがあった。
スーパーアークス月寒東店は元開発局の社宅跡地。アークスは取得から1年半、流通環境を注視しながらこの土地を寝かしていた。「恐慌前夜という認識は変わっていないし危機感は持っている。決して気を緩めたわけではない」と横山さんは強調していた。
(写真は、テープカットするアークス横山清社長・右、ラルズ斉藤弘社長・左。スーパーアークス月寒東店)

この記事は参考になりましたか?