サツドラホールディングス(本社・札幌市東区)の特別顧問Founderの富山睦浩氏が、2026年4月18 日、心不全で死去した。78歳だった。通夜および告別式は、近親者のみで行った。後日「お別れの会」を行う予定だが、詳細は未定。
(写真は、富山睦浩氏=2014年10月本サイトの取材時)
富山氏は、1972年12月にサッポロドラッグストアーを創業、1983年4月に株式会社サッポロドラッグストアー設立、代表取締役社長に就任。2015年5月同社代表取締役会長就任、2016年8月サツドラHD代表取締役会長就任、2020年8月取締役会長Founder就任、2022年8月特別顧問Founder就任。
本サイトは、2011年5月に富山氏が自身の生い立ちを含めて語った札幌証券取引所のIRセミナーを記事にしている。当時の記事から、富山氏の素顔について触れた部分を抜粋する。
<富山社長は、1947年10月3日、漁師の息子として根室で生まれた。当時、根室はソ連(現ロシア)沿岸でサケ・マスを漁獲する遠洋漁業の基地。航海に出て行く船には、乗組員たちの健康を守るためにたくさんの薬が積み込まれていた。 富山少年は、そんな光景を見ながら「薬屋っていい商売だな」と感じたという。それが、富山少年と薬の最初の出合いで、それをさらに深めたのが実母の病気だった>
<実母は身体が弱く、根室市立病院に通院していたが、この病院には当時、優秀な医師はなかなか来てくれず、度々薬局で母親は薬を処方してもらっていたという。抗生物質など当時としてはきつい薬もオーダーメードで処方してくれる薬剤師の姿を、尊敬の眼差しで見つめる富山少年は「将来は薬剤師になる」と決意を固めた。遠洋漁業の船に積み込まれる薬を眺めながら、漠然と薬の世界に憧れを抱いた少年は、実母の病気という境涯によって、薬剤師の仕事を胸に手繰り寄せた。少年は中学生になっていた>
<北海高校に進学して昭和大へ入学。薬剤師の資格を取得して札幌に戻り、独立したのは25歳の時だった。札幌市の西に位置する手稲山口にあった150坪程度のスーパーの一角に15坪の小さな薬局を開店。それが、サッポロドラッグストアーの原点になった。サッポロドラッグストアーは、創業以来の社名。会社の名前には創業者個人の名前を冠するのが一般的だが、富山社長の名前では『富山薬局』、あるいは『富山ドラッグ』になってしまい、どうしても富山の配置薬というイメージが先行してしまう>
<富山県黒部がルーツの富山社長にとって、それでも構わないという気持ちもあったが、札幌の地で事業を大きくしたいという願望が強かったため、『サッポロドラッグストアー』を選択。以降、その選択がその後の成長を担保する原動力になったようだ>
<「創業のころは、電話で社名を名乗っても、相手から『札幌トラックさんですか』とよく間違えられた。なにせドラッグストアという業態が普及していなかった時代ですからね」(富山社長)。ドラッグストアという業態が時代を切り開いたのか、あるいは時代がドラッグストアを必要としたのか、その後の成長は順調だった>
富山氏は、夫人の富山光恵氏(77)と二人三脚でドラッグストア事業を拡大してきた。光恵氏は、1983年からサッポロドラッグストアーの取締役を務め、2002年6月取締役副社長、HDへ移行した2016年8月から取締役副社長、2020年8月取締役副会長Founder、2022年8月から相談役Founderに就いている。2人は同志として、夫婦として常に行動を共にし、2026年2月に開催された食品卸の展示会にも2人で訪れていた。



































