JR函館駅前で市民と共に歩んできた百貨店、「棒二森屋」が1月31日午後7時過ぎ、82年の営業を終えた。前身を含めるとその歴史は150年に及び、「北海道」命名とほぼ同じ時を刻んできた。「ボーニさん」と親しまれ、各々の家族の歴史を投影する存在でもあった百貨店だった。函館市民は閉店の寂しさを埋めきれないでいるようだ。※動画はこちらの画像↓をクリックしてご覧ください。

(写真は、閉店の挨拶をする小賀雅彦・執行役員棒二森屋店長
(写真は、花束贈呈を受けて集まった市民から拍手が贈られる小賀店長ら)

 31日午後6時。閉店を知らせる『蛍の光』が館内を流れても、集まった人たちはその場を離れようとしなかった。本館1階に急ごしらえで作られたステージの背には、市民から寄せられた『ありがとう』のメッセージボードが立てかけられた。ステージを幾重にも取り囲むように人の渦ができ、閉店セレモニーが始まった。

 運営会社である中合(本社・福島市)の執行役員棒二森屋店長・小賀雅彦氏のほか幹部たちがステージに勢揃い、小賀店長が用意した文面を淡々と読み上げた。

「昭和9年、函館大火を境に金森森屋百貨店と棒二荻野呉服店が近代的デパートを作ろうと昭和11年に合併、12年にこの地に誕生したのが棒二森屋。棒二とは、荷物を担ぐ天秤棒のこと。一本が折れても二本目で商いをする近江商人の用意周到さからきています」と話し、「昭和から平成へと変わり、平成最後の年に創業150年の歴史に幕を閉じます。道南の皆さまに感謝し、ご恩は生涯忘れず棒二森屋の従業員だったことを誇りにこれからを歩みます」と結ぶと、集まった市民から大きな拍手が沸き起こった。

 1階フロアには1000人ほどの市民や元従業員たちが集まり、「ありがとう」、「お疲れさま」という会話があちこちで交わされた。名残惜しそうにゆっくりとした足取りで一人去り、二人去り、全員が外に出るまでに30分近くを要した。

 そして本当のお別れとなるシャッター閉鎖。正面玄関に並んだ従業員たちが「ありがとうございました」と深々と頭を下げる中、シャッターが降り見送った市民たちから拍手と感謝の言葉が寄せられた。

 閉店を見送った地元に住む70代の女性は、「子どもたちが小さい時から家族で50年以上通ったデパートでした。いつも食堂は混雑していて賑やかで、家族の歴史とともにこのデパートがありました。『ボーニさん』と呼んでいましたし、長靴でもサンダルでも入れるとても身近な存在でした」と話す。
 さらに、「40代半ばの息子は幼稚園のときから、棒二森屋で働くのが夢で高校後に夢を叶えて入社し今も働いています。閉店を知った時、私はショックで泣いてしまいました。せめて息子が働く最後の日を見ておきたいと来ました」とこの場から立ち去ることができないようだった。息子は福島市の中合に移ることになっているという。

(写真は、万感の思いを込め深々と頭を下げる棒二森屋の従業員ら)

 函館と共に時代を伴走してきた棒二森屋の閉店は、市民にひとつの区切りを突き付けている。新たな時代の伴走者は何だろう。
(写真は、150年の歴史に幕を閉じた棒二森屋本館)



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