ホクレン元常務で堀達也知事の下で民間副知事を務めた故西村博司氏の告別式が8日、札幌市豊平区の北海斎場で行われた。西村氏は今年2月末に腎臓結石のため札幌厚生病院に入院したが、間質性肺炎であることが分かり治療。3月末に一時回復してリハビリの準備に入っていたが4月に入って容態が悪化。4月4日に死去、82歳だった。IMG_3583(写真は、告別式で挨拶する葬儀委員長の太田一郎元ホクレン常務=左)

 西村氏は、昭和8年生まれで三男二女の末っ子。父親は国鉄勤務。庁立札幌第二中学(現札幌西高)を経て北海道大学農学部農業経済学科を卒業、昭和31年にホクレン農業協同組合連合会に入会した。ホクレン時代はプロパー職員の最高ポストである常務理事として10年以上采配を振るい、組織改革や基盤の確立に尽力した。
 常務理事は2人枠で、西村氏と同時期に務めたのが太田一郎氏。2人は互いの個性の違いを補完し合う名コンビとして平成初期のホクレンの一時代を築いた。
 
 ホクレン退任後の99年には、不正経理問題で揺れていた当時の堀知事の招聘によって民間副知事に就任。その橋渡しをしたのが、当時北海道厚生連会長だった故武田弘道(佐呂間農協組合長)だった。
 副知事を3年間務めた後は、北央信用組合の非常勤会長を務め、平成15年からは札幌市議だった加藤亨氏が務めていた陽光福祉会理事長に就いていた。
 
 告別式で葬儀委員長を務めた太田氏は、「西村さんは親兄弟を早くに亡くしているので健康管理には大変気にかけていた。私には『100歳までを目標にしている』と話していた。年齢が同じで大学も同じ教室だしホクレン時代も机を並べた。60年以上の友を失った落胆は大きい」と話していた。
 西村氏は、おっとりした口調ながら物事を的確に判断する能力があった。口元をあまり大きく動かさずに低い声で話したが、その言葉は明瞭で妙な説得力があった。いつも人に接する態度が変わらない紳士の風貌が印象に残る人だった。


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