キャリアバンクやエコミック、SATO社会保険労務士法人などSATOグループのオープンセミナーが10月31日、札幌市中央区のキャリアバンクセミナールームで開催された。講師は、札幌新陽高校の荒井優(ゆたか)校長(42)。テーマは、『素人が校長に着任して1年で新入生が倍増したのは何故?』で、教育関係者など約100人が聴講した。以下、優氏の講演内容を数回に分けて抜粋する。IMG_8978(写真は、講演する荒井優氏。この服装で毎日学校に出勤しているという)

 優氏は、荒井聡衆議(71、3区)の子息で、札幌新陽高校(旧札幌慈恵女子高)は優氏の祖父が札幌市南区澄川に60年前に創立した高校。聡氏は同校を運営する学校法人慈恵学園理事長を務めていることから、一見すると優氏は世襲校長とも見られがちだがそうではない。石狩管内70高校の中で偏差値最低クラスとされる同校を日本一の高校にしようと教育改革、学校改革に本気で取り組んでいるからだ。

 早大政経卒後、リクルートに入社。08年にソフトバンクに移り、グループ会社の取締役を務める傍ら、東日本大震災後にソフトバンク社長の孫正義氏や王貞治氏、SMAPを発起人として設立された公益財団法人東日本大震災復興支援財団専務理事に就任、被災地の支援活動に従事してきた。そんな経歴を持つ優氏が何故札幌新陽高校の校長に就任したのか。

「父が70歳になる前、『祖父が創立した学校を立て直す』と突然言い出して理事長に就任したのです。しかし、東大卒、農水官僚を経て代議士になった父が学校経営に乗り出すと学校現場と当然軋轢が出る。結果、校長が体調を崩して辞任。私にお鉢が回ってきたという訳です」

 当時、震災復興の仕事にやりがいを感じており、友人らに相談すると決まって「校長になるのは辞めた方がいい」という反応が返ってきた。多くの人に反対されたが、優氏は決断する。「祖父は札幌商業高校の教員を辞めて36歳で慈恵女子高を作ることを決めたのですが、3年後に心筋梗塞で亡くなり自身で開学を迎えることができなかった。そして父が70歳を前に立て直しを図ろうとしている。学校に賭ける家族の思いを強く感じたことと、東日本大震災で学校は地域の伝統文化やアイデンティティを守る資源であることをよくわかっていたから」
 
 同校は、優氏が校長を引き受けなかったら本当に潰れてしまいかねない経営状態だった。優氏が校長になる直前のオープンスクールには中学生や保護者70人ほどしか訪れなかった。入学生は定員280人のところ155人、定員に対して55%しか入学してこないのが現実だった。一般的に定員の60%を切ると経営難に陥るとされている。2020年以降は、石狩管内で毎年10クラスずつ減っていくという試算もある。札幌新陽高校に倒産の危機はすぐそこに迫っていた。

 2016年2月1日、優氏は「覚悟を決めて」校長に就任する。同校のかつてのイメージは、パンチパーマにチェーンを振り回す女子高生というもので、今でも学校に対する風評は良くない。優氏が初めて学校に行くと、こうした風評と違い生徒たちは素直でピュア、世間で言うほどひどくないことを実感した。

 優氏は、生徒たちの意見を聞き、本気でやろうとしていることにはその環境を整えるとともに同校の実態を広く世間に知ってもらうように努力した。校長就任後、10月から12月にかけて多くの中学3年生と保護者に向けて講演、その年のオープンスクールには400人の中3生と保護者が出席した。何のために高校があるのか、新陽高校の取り組みを説明した結果、17年4月は322人と定員を15%上回る新入生を受け入れることができた。前年の5クラスから9クラスに増え、経営的にもより安定する水準になった。(以下、次回に続く)


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