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 当別町は、旧仙台藩岩出山一門、伊達邦直主従によって、明治5年(1872)に開拓の鍬が入れられた町である。幕末の戊辰戦争で敗れた岩出山領は、明治維新後、それまで1万4千石あった俸禄をわずか65石に減らされたうえ、領主と家臣の身分も剥奪された。家臣700人とその家族3千人は帰農を命じられたが、領主の邦直は彼らが路頭に迷うことを憂い、私財を処分して得た資金で、明治新政府の推し進めていた北海道開拓を志願する。
 明治4年(1871)、第一次移住者180人が厚田郡聚富(現・石狩市厚田区)に入植。しかし、この地は耕作に適さず、作物が実らなかった。そこで、邦直と筆頭家老の吾妻謙は開拓使に願い出、翌年、トウベツの地に第二次移住者169人とともに、開拓の第一歩を記した。

 移住者らは大きなイチイの木の下で入植記念の祝宴を催し、翌日から刀を鍬に替えて開墾に励んだ。密林での作業は思うように進まず、河川の氾濫、バッタ被害、冷害凶作など、幾多の困難が立ちはだかった。しかし、邦直と家臣たちは、逆賊の汚名を晴らすため、固い団結によってこれらを克服し、明治18年(1885)には念願の士族復帰も果たした。

 明治22年(1889)、初代戸長の吾妻謙が亡くなり、その2年後には邦直も54歳で逝去したが、家臣たちは士族の誇りを胸に、より結束して今日の当別の礎を築き上げた。
 当別町開基110年目にあたる昭和57年(1982)、町は、先人たちの偉業に感謝しながら、開拓精神を未来に継承しようと、「当別伊達記念館」を建設した。場所は、JR当別駅にほど近い、現存の伊達家の住居脇である。
 平屋建ての施設内には、岩出山伊達家に伝わる貴重な品々が展示されており、これらのほとんどは、3代目当主・伊達正人氏の寄贈によるものである。その主なものは、京都の公家・冷泉(れいぜい)家から持参した1700年代初頭の「源氏かるた」、仙台藩伊達本家所有の「冷泉家入嫁時持参の打掛・振袖」、明治16年(1883)、小松宮彰仁親王が伊達家に宿泊した際に使用した「漆塗蒔絵食器」、そして、当別町指定文化財である、邦直着用の長袴・火事装束・陣羽織打掛などである。また、明治初期の邦直の自筆日記や、叙官の辞令など、貴重な史料もあわせて展示されている。
 隣接地には、当別町指定文化財の「伊達邸別館」があり、築130年の佇まいを見せている。この建物は明治13年(1880)、邦直の住宅に併設して建てられた、来賓の宿泊や諸会議のための施設で、昭和55年(1980)に町が譲り受け、約100メートル離れた現在地に移築した。
 建物の1階部分は、邦直の書斎及び来客の控室と会議室。会議室は当時としては珍しい洋間で、格調高い大きなテーブルと椅子が6脚並べられ、ここでたびたび村づくりの重要な会議が行われた。
 傾斜のきつい階段をのぼると、2階は客間と居間という間取りになっている。居間には3体の人形が並べられ、邦直と奥方のもとへ、重臣が開拓の報告をしている様子が再現されている。
 この別館には、皇族関係者や政府・開拓使要人らが大勢宿泊した。弟で旧仙台藩亘理領主の伊達邦成も、入植地の伊達市から3度来邸し、兄弟で開拓の労苦を語り合ったと伝えられている。
 両館の来館者数は年間1600人ほどで、地元小学校の社会科見学の場としても利用されている。事前に申し込めば、歴史研究専門員による対応も可能。中には、故郷宮城県から訪れる子孫もおり、遠く離れて新天地の開拓に挑んだ先祖たちの面影を偲ぶという。

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利用案内
所在地: 当別町元町105 電話:0133‐22‐3735
開館日時:午前10時~午後4時30分
休館日:月曜日(祝日にあたる場合はその翌日)
冬期間(11月1日~4月30日)
観覧料:無料
交通機関:JR当別駅から徒歩10分

付近のみどころ
「当別神社、阿蘇公園」
伊達記念館の隣接地にある当別神社は、当別に移住した伊達邦直主従が、開拓のシンボルであるイチイの木のそばに、明治5年に小社を設けたのがはじまり。邦直逝去後の翌明治25年、御霊が同神社に祀られ、現在も邦直を慕う氏子たちが足しげく参拝に訪れている。神社脇にあるイチイの木は、北海道記念保護樹木に指定され、樹齢350年を超えて今なお健在である。
参道南側にはきれいに手入れされた阿蘇公園が広がり、満開の桜から晩秋の紅葉、冬の「あそ雪の広場」と、四季を通じて町民の憩いの場となっている。

成田 信恵



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